08/07/21 20:47:41 qRXeAJco
ばかげた経済政策の連続
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レッドカーペット
日本のバブル崩壊の開始は、90年から91年にかけてである。まず90年の正月明けから株価が暴落し始めた。
地価は90年に首都圏が下落を始めたが、関西圏や地方都市の下落は1年くらい遅くなった。株価の底は13年後
の03年である。一方、首都圏の一等地の地価が底をつけたのはこれより若干早い時期だと筆者は見ている。
筆者が問題にするのは「資産価格が底を打つのに13年という異常に長い時間がかかったこと」と「底を打った時点
の資産価格が明らかに適正価格を大きく下回ったこと」である。それにしてもあまりにも長い間資産価格の下落が
続いたものである。しかもその後もデフレ経済をさらに引きずっているのである。
日本の最大の不運は、バブル崩壊後というこの大事な時期に「構造改革派(財政再建論者と小さな政府論者)」
が跋扈し、経済政策を撹乱したことである。いわゆる「小泉的なもの」の登場である。久々に96年は日本の経済
成長率が先進国では一番大きく、ずっと筆者が主張していたように、97年頃に一瞬地価が下げ止まりの気配を
見せた。しかしこの流れを打ち壊したのが橋本行財政改革であった。
しかしその前の93年、細川政権誕生という政権交代が政治的混乱を招き、日本の 経済政策がぶれたことも痛手
であった。基本的には細川政権は構造改革派であった。なんとこの政権の目玉政策が規制緩和による「地ビール
の解禁」であった。当時は世間もマスコミもこれをもてはやしていた。財政支出を削減しても規制緩和を行えば経
済は成長するといった間抜けな「迷信」がこの頃からあったのである。
日銀の金融政策も酷かった。まずバブルが既に崩壊しているのに、三重野日銀総裁は91年7月まで引締め政策
を続けた。なんと日銀にはバブルの崩壊が経済に与える影響は軽微という認識があったのである。一方米国FRB
は、サブプライム問題が発覚した昨年7月にはまず公定歩合を引下げ、9月からFFレートの引下げを開始している。
バブル崩壊後、金利を急速に引下げることは日本の失敗から学んだ教訓であろう。
98年3月に日銀の総裁に就いた速水氏は最悪であった。彼は円高主義者であり、シュムペータの「創造的破壊」の
信奉者であった。デフレ経済進行中の日本経済にとって最悪の日銀総裁であった。橋本政権を継いだ小渕政権は、
景気回復に努めたが、これに度々水を差したのが速水日銀の金融政策であった。
小渕首相は「自分が任命した日銀総裁ではない(橋本政権が任命)」と半分諦めていた。日銀は大事な時に「インフレ
が恐い」と金融引締めを行ったり、支離滅裂な金融政策を続けていた。最終的に速水日銀はとうとうゼロ金利政策に
追込まれている。三重野総裁や速水総裁に比べれば、福井氏はまともな日銀総裁であった。
フジテレビ系に「レッドカーペット」というお笑い番組がある。お笑い芸人が次々に登場し1分間のネタを披露する。
ゲスト審査員がこれらに「満点・大笑い」「大笑い」「中笑い」と採点を下す。バブル崩壊後の経済政策はまさに
「満点・大笑い」の連続であった。
もしまともな政策だけが行われていたなら、数年で日本経済は回復しており、山一証券、長銀、拓銀の経営破綻
は避けられていたと筆者は思っている。銀行に公的資金を投入したから、銀行が立直り、経済も回復したという話
はデマである。「満点・大笑い」政策の連続が、日本の金融機関を公的資金投入まで追詰めたのである。そして最
後に登場したのが自称構造改革派の小泉・竹中という「満点・大笑い」芸人であった。