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日本政府の独島領有権主張は外務省ホームページに載せられた「 竹島問題を理解するための10のポイ
ント」によく現われている。韓国語、英語版まで付いたこの小冊子を北東アジア歴史財団は自家撞着
と我田引水でいっぱいの減らず口と批判する。北東アジア財団資料を通じて日本主張の間違いを考え
てみる。
①代表的な日本地図改訂日本輿地路程全図(1779年)など日本は昔から独島の存在を認識していた。
●改訂日本輿地路程全図は私撰地図で、1779年原本では鬱陵島と独島が朝鮮本土とともに色づけされ
ないまま警衛度線の外に描かれて日本領域外の島と認識している。なおかつ日本海軍省「朝鮮東海岸
図」(1876年)のような官撰地図は独島を韓国領土に含ませている。
②韓国が主張する于山島が独島という根拠がないし于山島は鬱陵島の他の名前か仮想の島だ。
●東国文献備考(1770年)、万機要覧(1808年)などには「鬱陵島と于山島はすべて于山国の地で于山島
は日本人が言う松島」記録されている。韓国の古地図は官撰でも私撰でもいつも東海に鬱陵島と独島
を一緒に描いて、独島の存在を明確に認識してきたことを見せてくれる。
③江戸初期幕府は漁夫たちに鬱陵島渡海兔許を与えたし、人々は停泊場や漁採地として独島を利用し、
遅くとも17世紀中葉に領有権を確立した。
●渡海兔許は内国島に行く時は必要ない文書なので、むしろ日本が鬱陵島、独島を領土と認識してい
なかったことを立証する。日本の古文で隠州視聴合記(1667年)は「日本の北西方の限界を隠岐島にす
る」と記録した。1887年、日本国家最高機関太政官は17世紀末、韓日交渉の結果を土台に「竹島(鬱陵
島)外一島(独島)の件に対して日本は関係ないということを肝に銘ずること」と日本領土ではないこと
を認めた。
④日本は独島を領土だと考え、17世紀末、鬱陵島渡航を禁止したが独島渡航は禁止しなかった。
●江戸幕府が鬱陵島渡航を禁止した時「竹島(鬱陵島)の外に鳥取藩付属の島があるか」と問うた時、
鳥取藩は「竹島、松島(独島)はもちろん、その他に附属した島はない」と回答して独島が鳥取藩の島
ではないことを明らかにした。大谷家文書など日本資料に出る「竹嶋内松嶋」「竹島近辺松嶋」記録
は、独島が鬱陵島の付属島嶼と見なされたことをよく見せてくれる。したがって鬱陵島渡航禁止は、
当然、独島渡航禁止を含むものだ。
⑤韓国が引用する安竜福の陳述は、自分の不法渡日罪を正当化するために誇張したもので、日本の記
録と符合しない。
●鬱陵島近海操業中の日本漁船を追い出し、日本へ渡って謝罪までもらって来た安竜福事件に前後し
て領土問題が頭をもたげると、江戸幕府は1695年鳥取藩に鬱陵島・独島の帰属時期を聞き「鳥取藩に
属さない」と言う回答を受けた。幕府が1696年1月に下した渡海禁止令はその年8月、鳥取藩米子に伝
達したので安竜福が5月、鬱陵島で日本人に会ったのが偽りという日本側の主張は妥当ではない。
⑥日本政府は1905年、独島を島根県に編入して独島領有意思を再確認した。
●島根県編入は露日戦争中で韓半島侵奪過程で行われた。それに先立って1900年、大韓帝国勅令第41
号を通じて独島の行政区域を再編するなど、すでに確立された韓国の独島領有権に対する国際法上の
不法措置だ。当時、独島編入請願書を出した隠岐島住民中井養三郎は独島が韓国領土ということが分
かって初めて日本政府を通じて韓国に賃貸請願書を出したが、海軍省、外務省役人たちが領土編入請
願書に変えるように糸を引いた。当時の内務省井上書記官は「外国の多くの国に日本が韓国を併呑し
ようとする疑心を持たせることになる」と反対した。
(続きは>>2-5のあたり)
ソース:韓国日報(韓国語)日の減らず口破る '独島10訣'
URLリンク(news.hankooki.com)