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対馬島は、古代日本で朝鮮半島への要路として重要な役割を果たしてきた。
白村江の敗戦の後には、対馬島北部に防人を設置して、対朝鮮の最前線にした。
鎌倉時代からは肥前守の配下にあり、対馬国守護代の宗氏が治めた。
文永の役では当時の宗家当主の弟が討ち死にするなど、頑強に抵抗した。
室町時代から、以前より行われていた朝鮮貿易を拡大して、耕地不足の島の収入を補った。
秀吉政権、徳川幕府の治世でも所領を安堵され、江戸期には佐須奈が貿易港として栄えた。
1871年の廃藩時に厳原県となる。その時の藩主、宗義達は伯爵に任命されている。
【ものしり西日本 地図で読み解く日本】より