08/07/30 19:22:45 0sHtau14
日韓併合を絶対悪とする、学者、文化人のアホさかげん
「道路をつくらないことが国防の要諦、冊封体制こそ国防」などという李氏朝鮮ヤンバン屁理屈政策
で、李氏王朝の朝鮮は交通経済効果の恩恵を受けられないまま経済成長がまったくなかったといって
いい。そうして朝鮮は、19世紀には経済は疲弊しきっていたのです。
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
朝鮮の人口
1777年:1800万人
1877年:1649万人
日韓併合直前
1910年:1313万人
このように李氏朝鮮の「空理空論、ヤンバン政治」の結末で、朝鮮は疲弊しきっていた。
そして日韓併合に賛成した当時の韓国政府・売国奴とされる政治家らは日韓併合後、
厚生行政、経済・産業政策を日本のやりかた、つまり「脱亜」に学んだ。
そして日韓併合後、たった30年間で人口は、なんと倍増した。
1942年:2533万人
これは、「植民地政策」ではない。あんなとこに永住したいなんて考える日本人は
まずいません。明治政府がしたのは、「植民地政策」でなく「「殖民政策」です。
医療厚生政策、社会インフラを整備して韓国に経済成長をもたらした。
そうして、食生活が豊かになったから、韓国は、明治・大正・昭和のたった30数年間で
人口倍増したにです。
韓国併合を正当化するつもりはないが、全面的に明治政府、日本だけが悪かったとはいえない。
欧米先進国との格差を見て愕然としたのは幕末の日本人だったが、それに遅れて朝鮮人も
気がついたのです。だが、当時の朝鮮はあまりにも国力が疲弊しきっていた。
アヘン戦争での欧米列強の横暴を目の当たりにしてた朝鮮の開明思想の重鎮らが、どう考えたか
火を見るより明らか。
それで先見の明がある朝鮮王朝の中の有志らは、日本が開国し、たった十数年で清を破り、
ロシアを海戦で破るような過程での「勢い」を感じとって、「頼るなら、清ではなく日本だ。」
、となった。
当時、朝鮮にも欧米に留学したものはいた。そういった連中は、中国に頼る「冊封体制」より
開明思想の日本に頼ったほうがいいと考えたのです。