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1990年代初め、ある韓国人バックパッカーがポルトガルの古都・シントラへ向かう駅に降り
立った。シントラの王宮にたどり着くには、まずバスに乗り、さらに山道を行かなければなら
ないが、旅費を節約しようとひたすら歩いた。1時間ほど歩いたところ、下腹が痛くなってきた。
腹を押さえ我慢した末、ようやくトイレを見つけた。だが、「ポルトガルの山奥のトイレに韓国人
初の足跡を残した」という胸のときめきはつかの間だった。トイレのドアには「We are everywhere‐
Korean」(韓国人はどこに行ってもいる)という落書きがあったのだ。
ギリシャ・アテネの南東、ポセイドン神殿の柱には、イギリスの詩人・バイロンの落書きが
残っている。「わたしは決して卑劣な生き方はしない。白鳥のよう生き、白鳥のように死ぬ」。
西洋人の落書きはこのように小さな感動を残すが、東洋人はよく自分の名前を残す。世界の
隅々に至るまで、どの文化遺産や観光地にも「○○○が来た」「○は○を愛している」など、
韓国語の落書きがない所はない。十数年前には、韓国の登山隊がヒマラヤ山脈アンナプルナ
の岩壁に落書きをして批判された。
今年2月、海外研修でイタリア・フィレンツェ市を訪れた日本人女子短大生6人が、世界文化
遺産のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁や柱に学校名と自分たちの氏名を落書き
した。先月、別の日本人観光客がこれを見て学校側に知らせ、日本は騒然となった。学校側
は学生たちに厳重注意し、聖堂の落書きを消す費用を支払うという手紙を送った。これに対し、
聖堂側は「謝罪だけで十分」と遠慮した。
落書きが社会問題になったことから、同聖堂に落書きをした別の日本人たちもやり玉に挙
がった。京都の大学生3人は停学処分を受け、2年前に新婚旅行で当地を訪れ夫婦で名前を
書いた高校野球部の監督は解任された。イタリアの新聞各紙はこれを伝え、「落書きはひどい
が、解任や停学はイタリアでは考えられない厳罰」と驚いた。
この聖堂には、フィレンツェを征服した貴族の落書きをはじめ、イタリア語や英語の落書きも
少なくないという。だが、ここを訪れた人々は、「韓国語を含め、アジア圏の落書きのほうが
ずっと多い」と話す。東洋の「落書き癖」は特別なのだ。そこには「落書き禁止」と書かれていれ
ば余計に書きたくなる心理があるという。日本の社会は「日本人の落書きは国の恥さらし」と
興奮気味だ。少し大げさな気もするが、その一方で「韓国人は落書きという醜態に無関心
過ぎるのでは」と反省させられる。
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