08/06/23 06:23:48 roDDnJ2Y
>>25
次に日本の馬の体格です。
体格は馬種によって大小様々であり、とても「日本馬」と一口で括る事は出来ません。
その中でも体高が有り、足が長い乗馬に向いたアイノメ型と、ずんぐりむっくりで荷馬に向いた
ネンボウ型の二系統が存在し、現在、国内で生き残っているのはネンボウ型の、
それも往年の体格から矮小化した個体群です。
2004年にフジテレビで、現在の馬に乗った騎馬武者を登場させた番組が有りますが、
これは「荷馬に騎馬武者を無理矢理跨らせた状態」であり、実像から相当かけ離れた姿です。
意図してか意図せずかは分かり得ない事ですが、昨今の史学や検証のブームに便乗した悪質な番組と
言わざるを得ません。日本の常識に大きな悪影響を齎し、馬史の普及が遅れてしまったのは残念です。
さて、かつて日本各地に広大な馬産地が存在し、有力な農家が馬産に携わり、
それを博労と呼ばれる馬商人が売る、という形で日本の馬産業は発達しました。
そうして多種多様な馬種が存在しておりましたが、基本的に東北地方の馬が大型であり、
四国当たりの馬は小さい馬です。
これらの馬は総合して、鎌倉時代に四尺、戦国期は五尺が標準的な体高でした。
(尺貫法ですので、時代が後であるほど尺寸は大きくなります。)鎌倉時代の最小で四尺。
四尺で小馬、四尺五寸以上で中馬と呼ばれており、戦国頃は五尺(馬尺)が中型馬の平均的な体高でした。
ですので、文献で馬は四尺もしくは五尺有る事を前提に「○寸」とだけ体高が記されている事が良くあります。
以前、鎌倉時代に戦死した馬が大量に発掘された事例が有りますが、
この戦いに参加した武士達の主力は、中型の木曽馬に推定されます。