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▲独島に「韓国領」という標識を刻んだ直後の1954年8月28日独島義勇守備隊の姿。
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▲「平和線は国際法上正当。日本の侵略性糾弾」金炳魯大法院長の談話を報じた1953年10月2日付け朝鮮日報。
1953年10月2日付け朝鮮日報は「平和線は国際法上正当であり、日本漁船の侵犯は両国の間の衝突をも
たらすようになるだろう」という金炳魯大法院長の発言を報じた。
戦争中だった1952年1月18日、宣布した「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領宣言」は、日本に対
する李承晩大統領の領土守護意志がどれほど強かったのか見せてくれるものだった。海岸から平均60
マイル(約97㎞)に至る海域に「平和線(李承晩ライン)」を引いてそこに含まれた鉱物と水産資源を保
存するという宣言だった。これ以後、韓国政府は1957年まで平和線を侵犯した日本漁船152艘、漁民・
船員2025人を捕えた。
ここで平和線が独島を確かな大韓民国領土の中に含んだ、という点が注目されなければならない。日
本政府は平和線宣布十日後「日本島嶼である竹島(独島を日本で呼ぶ言葉)に対して韓国が領土権を上
程した」と抗議する外交文書を送った。それは今までしつこくつながる両国間の独島紛争の始めだっ
た。西紀6世紀以来韓国の領土だった独島は1946年1月29日連合軍最高司令部の指令であるSCAPIN第677
号によって韓国に返還されたが、相変らず日本船が独島を侵犯する状況だった。
政府がまだ実効的支配のための手を使うことができなかった時間フレーム、鬱陵島住民、洪淳七など
民間人から成り立った独島義勇守備隊が独島に常在して警備任務を担当した。彼らは劣悪な装備なが
らも独島に近付いた日本巡視船を撃退するなどの活動をし、独島東島岩壁に「韓国領」という標識を
刻んだ。1954年7月、国会は独島を日本の侵攻から保全することを決意し、以後義勇守備隊から業務を
引き継ぎ受けた鬱陵警察に所属の独島警備隊が独島守護を担うようになった。
ソース:朝鮮日報(韓国語)
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