08/07/05 20:06:57 mpT1EmCB
書き忘れていました。皆さんへ提起したいことがあります。
かなりの数、固定観念的な思考をする人が目立つということ。
(それは他の板にもほぼ概して言えるのですが)
固定された物は安定であり、安定は安住しやすく、それは即ち楽(らく)であります。
しかし、安定であるからこそ発展はしづらい。楽(らく)であるが、楽しいものではない。発展の楽しみを失っています。
観念を流動化し、経験によってそれを変えていくというのが一個人の進歩の善であり、幸福であると信じます。
是非、経験によって己自身の感(観)覚を身につけていただきたい。
また、この板における「議論」の手法についても一つの意見が有ります。
博識な方が多いこの板ではソーカル事件をご存じの方もいるでしょうが、
それに関連する議論は、強ち一般における議論方法についても適応できると考えます。
つまり、極めて文字的な人間(じんかん)の行為「議論」において、
一対一対応のような数学的概念を用いて論を展開する時の非絶対性を認識すべきということです。
”現代文の記述問題に絶対の解が有りますか?”(学生の頃にそう毒づいたことが一度は有るのでは?)
この板における「定義」という言葉への絶対視観も、危惧すべき所では有ります。
法律関係の仕事をしていらっしゃる方が多いのか、
多くの方が「定義」という言葉を法律的な意味で捉えているように思われる。
簡単に言うと、定義が必要条件になっている。
しかしながら、普通に話しているうちに、誰も”何々という言葉の定義は?”などと口を挟まないでしょう。
少なくとも、自分の体験ではそういう人はいなかった。
それに対し、この板では、事あるごとに”その言葉の定義を言ってみて”などと書いているように思われる。
そして、返答が自分の内で定めた定義と違っていたら、”何を言っているんだ?”と。
自分のものが自分の社会内の共通認識だと思っている。違うことを言った奴は、外の奴だ―
その考えは人と接する上で非常に危ういものであります。
”内”の人間の顔すら見えない秘密社会である、匿名的な場所ではなおさらです。
困難と不快を堪え忍び、克服し、その先に喜びを見いだすことの出来る人がこの文章を読むことを期待して、
ROMに戻るとします。それでは。