08/06/15 12:42:24 06Cyqd+D
うちは爺さんの時代からずっと八百屋をやってたんだ。
爺さんが出兵しても婆ちゃんが女手ひとつで親父たち兄弟と店を切り盛りしていた。
大きくないけど、そんな八百屋を来週で閉店することになった。
親父は八百屋に誇りを持っていた。朝から晩まで、盆も正月もなく働いていた親父。
俺が小さい頃、小学校に父親参観ってのがあってみんなの親父さんが学校へやってくる。
そん時友達の親父はみんなスーツにネクタイ。
でもうちの親父はジャンパーにチノパンにスニーカ、市場の店番をつけた野球帽を被ってやってきた。
恐らく配達の途中でやってきたのだろう。俺は嫌で嫌で仕方なかった。
その夜俺は夕飯の時に泣いて怒った。
「父ちゃんはなんでそんな汚い格好で学校に来るんだよ!みんなの父ちゃんはちゃんとネクタイ付けて革靴履いて
仕事の格好で来てるんだ!恥ずかしいだろ?そんな格好で来るなよな!!」
そんな俺を母ちゃんはひどく叱って、泣いていた。
「お前、どこにでも行っておしまいよ!そんなに八百屋の息子が嫌なら、どこぞのお大臣に育ててもらえばいいだろう!!」ってね。
でも親父はいつも黙ってビールを飲んでいた。
実際仕事は忙しかったんだ。大きな旅館や料理屋が出来て、お客になった。店で売る他に、そこに配達をしていたりしていたんだ。
旅館なんて、GWや夏休み、冬休みなんて書入れ時だろ。だから夏休みに海にも連れてって貰った記憶もないよ。
ご飯だってみんなは「八百屋さんじゃいつも新鮮な野菜が食べられていいね」なんて言うけど、それは誤解だよ。
新鮮なものはすべてお客へ、そんで売れ残ったり、半分傷んでしまったものなんかを食べるんだぜ。
市場は朝が早いから、外食だってしたことない。
いつも母ちゃんの作った傷みかけの野菜を使った料理やテストでいい点取ってきた日なんかは
近所の来来軒のタンメンと餃子とチャーハンを取ってくれるくらいだ。
そんな時、親父は決まって自慢気にこう言う。
「おい、ここのタンメンうまいだろう!父ちゃんが売った野菜を使っているからな。餃子だってそうだ。残さず食うんだぞ!」って
上機嫌だった。
何年か経って、近所に大型スーパー建設の話が持ち上がったんだ。うちの商店街はこぞって反対した。
でも街を活気付かせるため、役所も大賛成で、結局建つことになった。
親父たちはがんばった。スーパーに負けないくらいいい品物を仕入れて、値段も安くして、配達だってちょっとくらい遠いところなら、
二つ返事で届けてたんだ。
商店街のみんなとどうしたら客の流れを戻せるか、毎晩遅くまで話し合っていたこともあった。
でも、月日が経つに連れ、商店街は靴屋が減り、刃物屋が減り、本屋が無くなりと、シャッターを締めっきりの店が増え始めた。
でも親父はがんばった。俺が大学に合格して、遠くに引っ越すことになった。
親父は人一倍喜んで、「がんばって仕送りもするから、悔いの無いように勉強して来い」と俺を送り出した。
妹には悪かったが、俺は家族と離れて暮らすことに希望を抱いた。
バイトもして、勉強もして、一生懸命学生生活を送ったんだ。実家に帰ることも忘れるくらい。
夜遅く帰る俺は、いつも留守番電話で家族の元気を確認していた。
俺はすっかり忘れていた。商店街のこと、うちの八百屋のこと。母ちゃんのこと、妹のこと、そして親父のこと。
ある日、母ちゃんから手紙が届いた。連絡もろくすっぽ寄こさないで心配してるんだと。それと、親父のこと。
うちの商店街も店を開いている店のほうが少なくなってしまったよ。お父ちゃんもすっかり元気がなくなって、お客も減ってしまったよ。
近いうちに一度帰っておいでと。