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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年)5月23日(金曜日)
通巻第2197号
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四川省、ダムの決壊が近いという情報におののく
紫坪舗ダムが倒壊すると都江堰市は水没する
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四川省にあるダムのなかで、五十数カ所のダムに亀裂がはいった。
十五ほど出現した「地震胡」の水は豪雨があれば、溢れる。土石流の二次災害も想定されている。
或る事実を思い出した。
黄河が決壊したのは1938年6月7日だった。
河南省の花園堤防が破壊されて満々たる水が黄河から溢れだし、河南省ばかりか安徽省から江蘇省の平原まで冠水した。
水死者だけで60万人とも百万人とも言われる。
これは蒋介石が命じて堤防を爆破したからで、被災は以後水没地域に干ばつ、飢餓などをもたらし、1943年の大飢饉に繋がる。
ところが蒋介石の副官だった何応鈞は『八年抗戦之経過』(1938年)のなかで「日本軍が飛行機で爆撃した」と書いた。『中華年鏡』(1948年)のなかにも「日本軍の砲撃で破壊された」と嘘が書かれた。
真実はこうである。
日本軍に追われた蒋介石は水攻めの奇策を思いついた。蒋介石は日本に留学しているが、秀吉の高松城水攻め、忍城水攻め、雑賀太田城水攻めの故実を習ったのだろうか?
黄河花園堤防爆破が国民党の自作自演であったことは1976年になってから関係者が暴露した。
しかも爆破直後に「これを日本軍の仕業として宣伝する」ことまで事前に決められていた。
6月7日爆破。
6月11日からラジオなどを使って『日本軍の暴挙をわめき続けた。
これに疑問をもった外国人記者がいた。パリの「共和報」という新聞が自作自演説を伝え、世界のマスコミが疑念を抱いた。
「以徳報恩」などと欺瞞的な放言が得意だった蒋介石神話を信じていた人にとって、真実とは驚くほどのことであった。