08/05/19 01:56:44 mEJjnkXR
>>1 ちょっと調べてみまつたが、「徴用」についてはご本人がご説明されてまつた
URLリンク(shinsho.shueisha.co.jp)
(抜粋)
友人から「今度、南方の俘虜監視員の募集があるから一緒に行かないか」と誘われたとき、
ちょうどわたしは勤めていた郵便局を辞めて家にいました。わたしのすぐ隣の学校の後輩が
何ヶ月か前に、いきなり役所に呼ばれて連れて行かれたところでした。
「お前の息子が行かなかったから俺の息子が連れて行かれたんだ」と親同士の仲も険悪に
なってしまうんです。戦争後にわかったことですが、そうして連れて行かれた人は終戦後、
無事に帰ってきたそうです。一方のわたしは戦犯になって死刑宣告まで受けたのですが。
俘虜監視要員の条件は年齢二〇歳以上、給料は月給五〇円の二年契約でした。このご時世、
どちみち家におることはできず、どこかに引っ張られて行くならば、戦地といっても第一線では
ないし、二年で帰って来れるなら炭鉱へ行くよりマシじゃないか、と考えました。しかも、そのときは
徴兵制度が敷かれるという噂もあったので、これに行けば軍隊にも行かずにすむんじゃないかと
いう思いもありました。
面接に呼び出されて行くと、面長から「行って来なさい」とかなり強圧的に言われました。当時、
わたしは満一七歳、韓国の年で一八歳でした。しかも、当時の朝鮮は(乳幼児の)死亡率が高く、
しばらく放っておいて、これは大丈夫そうだなと思ったら役所に届けに行くので、戸籍は実際より
二歳も若くなっていました。募集条件は二〇歳以上だったので無理だと言ったのですが、「そんな
こと言わず行って来い」と。
単なる勧誘じゃないんです。あのころは募集に応じたという考えだったのですが、本当は朝鮮総督府
から各面(行政単位。村)に割り当てが来ていて、「お前の面では何名出せ」と命令されていたんですね。
ですから、表向きは募集であっても実際は強制です。そうして応募することになり、簡単な口頭試験や
筆記試験を通って俘虜監視員になりました。都会のほうでは新聞にも募集広告が出たようです。