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■「私たちは被害者」 … 強大国中国の度外れた民族主義
~ 『中国の新民族主義: 自負心・政治・外交』(China's New Nationalism: Pride, Politics, and Diplomacy)
~ Peter Hayes Gries 著
4月27日、ソウルでは珍しい事態が起こった。チベットでの流血鎮圧と脱北者強制送還に対する
抗議の意思表示として北京オリンピック聖火リレーを阻止しようとしていた韓国人デモ隊が、白
昼のソウル市役所の前で、留学生中心の中国デモ隊の暴行にあったのだ。「神聖不可侵」の主
権が侵害されたと感じた韓国メディアやネチズンたちの怒りは、充分に理解しうるものだった。
すると今度は、韓国メディアの「誇張歪曲報道」が中国ネチズンたちの俎上に上がった。韓国メ
ディアの「誇張歪曲報道」に対する中国ネチズンたちの逆ギレ的な批判の裏には、興味深い論
理の転倒が見出される。加害者と被害者の位置が入れ替わるのだ。暴行の主体である中国人
デモ隊が暴力の加害者から「誇張歪曲報道」の被害者に化けて、代わりに暴行を受けた韓国
人たちが「誇張歪曲報道」の加害主体になるのだ。
これは、欧米のオリンピックボイコット運動に欧米商品不売運動で対抗し、欧米メディアの「偏向
歪曲報道」を糾弾してきた中国民族主義の延長線上で理解される。オリンピックボイコットは、
中国の輝かしい発展に驚いた欧米帝国主義者たちが中国を陰湿に攻撃しようとする陰謀だ、と
いう考えが中国人たちの間に相当広がっている。国家権力の宣伝扇動結果とだけ見るには、
その熱気は余りにも熱い。時には下からの民族主義が官製民族主義を圧倒することもある。
グリース(Gries)のこの本は、今日の中国の民族主義を理解する糸口を提供する。著者によれば、
主に80年代生まれやリベラル化した80年代に幼少期を送った中国の新世代における民族主義
は、「犠牲者意識」をその特徴とする。4つの近代化以後の80年代の輝かしい物質的繁栄の受
恵者である新世代の心に刻まれた「犠牲者意識」とは、ちょっと意外だ。
中華人民共和国の建国以後、中国の民族主義は「勝者意識」によっていた。日中戦争と国共
内戦の相次ぐ勝利、そして朝鮮戦争でアメリカに痛撃を与えたという民族的自負心は、アヘン
戦争以後の「百年国恥」を雪ぐのに十分だった。帝国主義の侵略と内戦の犠牲者だった革命
世代の民族主義は、むしろ「勝者意識」で武装されていたのだ。著者によれば、欧米帝国主義
の被害者だったという「犠牲者意識」民族主義が登場したのは、中国が国際舞台に急浮上した
1990年代の事だった。そのきっかけは、1989年の天安門事件だった。天安門事件以後の中国
に対する欧米の制裁は、1900年に義和団鎮圧のため北京に進駐した帝国主義諸国の軍隊に
よる残忍な報復に比肩するものとされた。<中略>
「勝者意識」と「犠牲者意識」の並存・共存は、中国民族主義だけの特徴ではない。帝国主義
に抵抗する英雄的闘争と帝国主義支配に苦しむ民衆の犠牲は、民族主義的歴史叙述を支える
2つの柱だ。この本の長所であると同時に短所でもある特徴は、中国民族主義のこうした普遍的
二重性を、「面子」というキーワードで分析しているという点だ。<中略>
「面子」の観点から見るとき、日本の謝罪を受け入れるのは一層難しいことだった。中国的世界
観から見ると、日本帝国主義による中国侵略は、子が親を、弟子が師匠を、弟が兄を公開の席
上で侮辱したことに他ならぬものだった。科学技術が発展した欧米帝国主義が中国を蹂躙した
のとは比較にならぬほど、中国の面子が傷つけられたのだ。中国の面子が一層ひどく傷つけら
れたぶん、日本の謝罪は欧米の謝罪よりも真摯なものでなければならない、という論理が成り
立つのだ。
より激しかった欧米の聖火リレー阻止デモに対するもの以上に、特に韓国のデモ隊にだけ中国
人たちの暴力が行使されたことは、どう解釈すべきだろうか。韓国のデモだから中国の面子が
一層傷つけられたと思ったのだろうか? 一部の噂のように中国大使館主導の官製民族主義の
結果だったら、むしろ幸いではないだろうか。 【林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大学教授(史学科)】
▽ソース:朝鮮日報(韓国語)(2008.05.16 13:44)
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