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朝鮮人が戦後日本に密航した実態、在日の大半が済州島出身の理由
■【済州島四・三事件】
1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。
南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。
1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。
済州島の古来よりの複雑な歴史背景によって、朝鮮本土からの迫害や差別を受けていた島民は、
新天地を求めて日本本土へ移住あるいは出稼ぎに行き、
併合初期に来た最初の20万人ほどの朝鮮出身者の大半は、済州島出身であった。
敗戦による独立によって、そのほとんどが帰国したが、この事件で済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、
そのまま在日朝鮮人となった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。
つまりこの時、17万人の朝鮮人が日本に密航して来た。で、こいつらは「日本に強制連行された」と主張している。
■生野の街と在日朝鮮人(URLリンク(kangaerukai.net))
さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。
「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。
ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、
漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、それでもうなんとか匿われるわけですから、
どんどん密航という形で、大阪へ、生野へやって来るわけです。
それからもう1つ、帰れない理由というのがありました。それは済州島という島のことについてふれておかねばなりません。
済州島というのは小さな島です。今は快速艇が出ていますが、以前は木浦というところまで6時間ぐらいかかりました。
昔は済州島は耽羅(タムナ)の国と言われていました。沖縄(琉球王国)を想像していただけばいいと思います。
独立した国だったのです。朝鮮が中国を宗主国としていたのと同じように、耽羅も中国を宗主国として独立して存在していたのです。
それから次に李朝時代。この頃になりますと、済州島に政治犯などの人たちが島流しにされる。
このことが後に、済州島に対する本土からの差別視というものが生まれてくる背景にもなるのです。
反逆者とか、政治的に左遷されたり、そういった人たちがこの島に住むようになった。