08/05/15 08:16:04 ZWaOZL7J
>>924
あ、戻ってきたんだ。
で、圧死が即死だったってソースは?
阪神淡路大震災の死者統計
URLリンク(www.kkr.mlit.go.jp)
震災の死亡原因
阪神・淡路大震災で亡くなった人の原因は、「圧死」の方が大部分(約3/4)を占めており、「焼死」の方も約1割であった。
救出者のうち生存者の占める割合について日を追って見ると、早く助けるほど生存の確立は高かった。被災当日の1月17日は、救出者の4人に3人は生存していたが、
翌18日では、救出者のうち生存していた人は4人に1人しかいなかった。
倒壊家屋の下敷きになったままで焼死された方も、早く救出できれば助かったかもしれないことが悔やまれるが、
救出の人出が足りなかった。
救出依頼が多かったにもかかわらず、人出が足りなかった
午後零時前、東灘署員の出勤率は約九割に達した。しかし騒然とする受付には、婦人警官と交通巡視員が立った。
訴えがあった生き埋め現場をメモに記し、住宅地図に書き込む。それを基に、出勤してきた署員が次々と救出に向かった。
正午、本署に残ったのは菅井署長、中尾副署長ら幹部と現場からの無線を受ける地域課員の計5人。
それに対して救助を求める届け出は194件に達した。「そこにまだ人が残っとるやないか、早く助けにこんかい」。
署の奥で指揮を執る中尾副署長にも、容赦ない罵声が浴びせられた。
日が落ち始めた。しかし、救助を求める市民は途切れない。夜になって、滋賀県警の投光車が到着した。
停電した署内を窓越しに照らす中、受け付け作業は徹夜で続いた。メモは積み重なっていった。
「朝には声が聞こえていたのに、昼になったら聞こえなくなって…」。ある女性は何度も署に足を運んだ末、
交通巡視員の西塚愛佐さん(20)の前で泣き崩れた。「助けに行けない、行ったとしても何もできない自分がはがゆい」と、
西塚さんは思った。
18日午前零時で救助が必要な人は、東灘署に届け出があっただけで589人。警察の力が問われる修羅場が続いた。
管内の死者は、最終的には1,200人を超え、神戸市内の各区で最多を数えることになる。
出典:『大震災 その時、わが街は』(神戸新聞社編、1995年)