08/05/10 07:18:29 mow7iQ+I
江戸の獄門で処刑された死体で日本刀の試し切りを職とした山田浅右衛門が
死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥し、薬として販売したとされる
(これは人胆丸といい当時は正式な薬剤だった)
他、戊辰戦争の折には薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り食用にしたという話もあった。
明治3年に刑部省弁官布告にて人体各部の密売を禁じた公文書が残っている。
また、太平洋戦争中に起こった人肉食事件(通称ひかりごけ事件)は
日本中を揺るがす大問題に発展した。
また太平洋戦線の島嶼等で日本軍は各地で食糧補給が途絶したため、
戦死者や落伍した兵士を密かに殺害してその肉を奪い合って食べる事態が頻発し、
軍上層部でも問題となった。これに対し、1944年12月にニューギニア戦線の日本軍第十八軍は
「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」とし、これに反した4名が処刑されたが、こ
の布告は餓死寸前の末端兵士たちにはむしろ生存手段としての人肉食を示唆することになった
(敵の死体は食べても罰するという記述が無く、フィリピンのミンダナオ島では
非戦闘員を含む住民が日本兵に殺害され、食べられるという事件が起こっている[3])。
前述のように、主に日本軍による人肉食が発生した戦場はインパール・ニューギニア・
フィリピン・ガダルカナルなどである。日本軍による連合軍兵士に対する人肉食は、
多くが飢餓による緊急避難であったことや、人肉食に遭った兵士の遺族に対する感情などを考慮した結果、
その多くは戦犯として裁かれることはなかった。
奥崎謙三は部下を処刑した元上官を撮影を利用しつつも個人的に指弾し、
その中で人肉食が行われていたことも判明した。
その様子は映画『ゆきゆきて、神軍』に収められている。
1945年6月から8月にかけて発生した九州大学生体解剖事件では、
撃墜されたB-29搭乗員のウィリアム・R・フレドリックス少佐以下米軍捕虜8人を
裁判なしで死刑処分とし、九州大学に連行して彼らを生体解剖した上、
堀内清真少将ら軍人5名がその肝臓を試食したとされる。
これは飢餓地域ではない国内で発生した事件であり、戦争犯罪として裁かれた。
ほかに「小笠原事件(父島事件)」があげられる。
1981年にはパリ人肉事件が起こった。この事件では、フランスで日本人留学生であった
佐川一政が知人のオランダ人女子留学生を殺し、その肉を食べていたことが報道され、世界中を震撼させた。