【チベット】中国の無差別発砲に血を流して力尽きた友人、命がけの検問…騒乱ラサ、自由求め脱出したチベット人(朝日新聞)[5/3]at NEWS4PLUS
【チベット】中国の無差別発砲に血を流して力尽きた友人、命がけの検問…騒乱ラサ、自由求め脱出したチベット人(朝日新聞)[5/3] - 暇つぶし2ch1:諸君、帰ってきたで?φ ★
08/05/04 00:11:33
 【ダラムサラ(インド北部)=武石英史郎】発砲に逃げまどい、血を流して力尽きた友人。命がけでくぐりぬけた検問。3月に
起きた中国チベット自治区ラサでのデモに加わり、4月末にチベット亡命政府があるインド・ダラムサラへ逃れて来た最初の
チベット人がいる。四川省の遊牧民出身、出稼ぎでラサにいた露天商クンサン・ソナムさん(38)。朝日新聞の取材に当時の
様子を語った。

URLリンク(www.asahi.com)
ラサでの騒乱後、インドへ脱出したクンサン・ソナムさん=ダラムサラの難民センター、武石写す

地図 URLリンク(www.asahi.com)

 3月10日にラサ郊外の寺院で起きたデモのうわさが広がっていた。14日午前10時ごろ、中心部で約30人がデモを始めていた。
ソナムさんも加わり叫んだ。「自由を、権利を、独立を、ダライ・ラマ万歳」。誰かがイスラム教徒の肉店に石を投げた。チベット人が
大切にするロバや馬の肉を売る店だったからだ。店主はナイフで抵抗、騒ぎが大きくなった。

 千人近くに膨れ上がっただろうか。治安当局の車をひっくり返して気勢を上げると、遠巻きにしていた警官隊が発砲を始めた。
すぐ近くにいた友人が胸を撃たれて倒れた。布を巻いてやり、逃げようとしたが、2~3歩で動けなくなった。混乱の中で友人の
消息は分からなくなった。「恐怖というより、怒りと憎しみでいっぱいだった」

 デモは場所を変えて続いた。漢族は逃げ、姿が見えなかった。午後3時ごろ、装甲車が3台来て催涙弾を発射。装甲車から
兵士が自動小銃で無差別発砲を始めた。デモ隊は散り散りになった。幌(ほろ)付きの軍用トラックが倒れた人たちを荷台に
載せて運び去った。火災による煙が充満する中、兵士の数がどんどん増え、怖くなり住まいへ戻った。午後9時ごろだった。

 ソナムさんは、建設作業員の同郷者6~7人と寺院近くの空き地でテント暮らしをしていた。15日以降、兵士が毎日やって来た。
騒乱当時、何をしていたのか、逃げた者はいないか。ソナムさんは自分のことは黙っていた。

 露天商仲間が連行された。ソナムさんもデモに参加して投獄された経験がある。「捕まれば殺される。同じ死ぬなら逃げた方が
ましだ」。数日後、テントを抜け出した。行商に行こうと取得したパスポートとネパールの査証があった。ネパール国境行き
乗り合いタクシーの座席が手に入ったのは3月26日だった。

 検問は10カ所近くあった。乗客はほかに漢族が3人。身分証を盗み見たら、2人はネパール国境へ配属される兵士。恐ろしく
なった。ただ、これが検問官の警戒心を緩めたかもしれない。途中の街で食事をとったとき、「ネパールでも騒乱で大変らしい。
気をつけなよ」。漢族の言葉に黙ってうなずいた。

 国境には翌朝到着。往来する商人に紛れ込んだが、真新しいパスポートが怪しまれた。尋問は2時間半。「暴動なんてあった
んですか」。しらを切り通した。

 ダラムサラへ向かう途中、カトマンズの難民センターから初めて故郷の父に電話した。「脱出した。元気だ」。盗聴のおそれがあり、
一言二言だけ。遊牧に出た妻子と話すことはできなかった。

 命がけでつかんだ自由とは何か。ソナムさんは言う。「外出しても、何を叫んでも、殺されないこと」

 亡命政府によると、年間2千人を超えていたチベット難民は中国側の移動制限で激減。騒乱後はソナムさんと学齢期の児童
3人だけという。

ソース(朝日新聞) URLリンク(www.asahi.com)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch