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1900-01年、北清事変(義和団事件)で、清は外国公館を襲った暴徒に乗じ列強に宣戦布告、逆にボコボコにされる。
世界各国が自国民保護の為に兵隊を置き演習する権利を得、最終的に日本も含む14カ国ほどが兵を置く事となる。
1914-18年のWWIで、戦勝国の日本は青島などのドイツ権益を得る。ドイツは日本に支那利権を奪われた形となる。
1933年にドイツではナチス政権が発足し、ドイツの再軍備を推進する。
1934年ヒットラー「総統」となる。
1934年からはドイツは国民党への投資が盛んになり、独製等の軍需物資が輸出され、ナチスは蒋介石と繋がりを強める。
1936年に、所謂「日独防共協定」が締結される。しかし正式名称は「共産『インターナショナル』ニ対スル協定及附属議定書」、
つまり「反コミンテルン協定」であって、「反ソ連」限定とも言える協定であった。よって、ナチスと蒋介石の繋がりは続く。
1937年当時、中華民国の国民党蒋介石軍にはナチス・ドイツの軍事顧問ファルケンハウゼンが付いてた。
有名な7月7日の盧溝橋事件は、それまでの小規模の軍事衝突同様、現地の協定で終結していたが、
ナチス・ドイツ軍事顧問団の指導の下、(WWIの経験から)鉄壁の陣を構築しドイツ等の武器で武装し、同年9月13日、
上海守備隊である帝国海軍陸戦隊数千人に対し、蒋介石国民党軍が20万規模の動員計画をたてて襲いかかった。