08/04/13 21:01:05 BHiMR7eT
内容:
韓国も中国も我こそは、日本へ文化技術を教えたのだというが、
実はそうではない。
日本の文化は混合であって、確かに中国や韓国を経由しているが、
それは通過地点だっただけである。
日本の文化は混合であるが多くはユダヤ人がもたらしたと考えられる。
はるかイスラエルから故郷を追われたユダヤ人の数部族が中国や韓国を経由して
最終目的であった日の出る国へやってきたのである。
彼らは太陽信仰があり、東方の地には憧れがあった。
また、かれらの聖地アララト山に似てしかももっと大きな富士山の話も
伝え聞いていただろう。日本は聖地にふさわしかったのである。
戦い続けた彼らは伝え聞いた安らぎの地、東方の果てへと旅立ったのである。
そのころ、シルクロードではユダヤ人が商人として中継拠点に生活していた。
その情報網からもはるか東方の日本を知っていたのだろう。
中国の秦などの国家はユダヤ人の国家だった。秦とは西方のことを指し、
当時ローマ帝国は大秦と呼ばれていた。彼らは強力な鉄器を東方へ持ち
込んだのである。
そしてあっという間に現在の中国周辺を手にいれた。さらに秦の始皇帝は
日本へ不老長寿の薬草を探しに除福を派遣したと言われる。しかし、これは
真実ではないと思う。始皇帝は、日本を偵察に来たのである。あるいは調査
しにきたのである。彼の最終目的は、日本へ移住することだったと思われる。
そして何派にわたって日本へ着いたと考えられる。これは記録に残っている。
韓国から日本へやってきた一派の渡来人もいた。韓国ドラマ『朱蒙』の扶余
(ぷよ)国などだ。
その時点では彼らが中国や韓国での覇権者となり、あのドラマにあった3種の
神器はまさにユダヤ神器のを思わせるものです。
これらの一派日本での秦一族(秦の始皇帝の末裔と名乗っていたとも)は
ユダヤ人なのであり、けして韓国人でも漢民族でもないのです。
日本の文化の多くは彼らが持って来たものと考えられます。
また、中国や韓国へも残してきたのです。
そしての10支族の本流は日本にきた可能性が高いのです。
秦氏の伝えたものに羽田織りやお酒などさまざまなものがあり、
カタカナやひらがなもユダヤの文字の変形と考えられています。
ちなみに、元総理の羽田さんは秦一族でそうです。