【日韓】竹島領有権で日本に抗議 HP掲載直後に韓国[04/08]at NEWS4PLUS
【日韓】竹島領有権で日本に抗議 HP掲載直後に韓国[04/08] - 暇つぶし2ch384:ハートマン☆マジカル二等陸士@Free Tibet ◆Y1.by2NI5.
08/04/12 11:31:32 fvOCtQsC
半月はまだいるのか?

385:三郎
08/04/12 11:46:54 fmZkojvA
国際法廷で決着をつけよう。

386:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 15:45:39 Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判1 2008/ 4/12 13:07 [ No.16407 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

  半月城です。
  外務省は、これまで北方領土問題に関するパンフレットは熱心に発行しても、
竹島=独島問題に関するパンフレットはまったく発行しませんでした。ところが
今年2月、北東アジア課が「竹島問題を理解するための10のポイント」と題して
パンフレットを初めて発行したので注目されます。
  そのパンフレットで一番の注目は、竹島=独島を版図外とした明治政府の太
政官指令をどう記述するのかという点でした。しかし、その記述はなく、肩すか
しに終りました。
  かつて、外務省は韓国の通信社「聯合ニュース」から <日本政府は「獨島
は日本と関係がない」と結論付けた『太政官指令文』の内容をどのように評価さ
れますか>との質問を受けていました。
  これに対して外務省は「太政官指令文の存在を知っている。この問題に対し
ては現在調査中であり、現時点で答えることはできない」とか、「まだ調査中」
との回答のまま現在に至りました(注1)。
  それから2年も経つのに、外務省が今回のパンフレットでも太政官指令にま
ったくふれなかったのは、外務省にとって都合の悪い資料は公にしない方針なの
か、それともその事実を内外にどう公表すべきかで結論がでなかったのか、とも
かく煮え切らない態度です。
  この太政官指令は同省の主張する「竹島は日本の固有領土」というキャッチ
フレーズに反するだけに、同省にとってはアキレス腱的な存在になっているよう
です。
  その点、島根県は潔く太政官指令を認める公式見解を出しました。それを
『フォトしまね』161号「竹島特集」に見ることができます。同書は、<太政官
は、同島(欝陵島)と外一島を「本邦関係無之」とし、日本領でないとの認識を
示した。外一島とは、現在の竹島とみられる>と記しました。
  すなわち、島根県は太政官が竹島=独島を版図外にしたと解釈しました。い
ずれ外務省も島根県の見解に賛成するのでしょうか。
  外務省は、このように最も肝心なことを隠したままパンフレットを発行した
のですが、一事が万事、外務省にとって都合の悪い資料は公表しない姿勢で一貫
しているようです。その具体例はおいおい書くことにして、このシリーズではパ
ンフレットを項目順に見ることにします。
1.「日本は古くから竹島の存在を認識していました」
  パンフレットは日本が竹島=独島を熟知していた例として長久保赤水の「改
正日本輿地路程全図」(赤水図)の1846年版を載せました。赤水図は7回改訂さ
れたのですが、1846年版は6回目の改訂であり、弘化版とよばれます。
  パンフレットは、本文で赤水図の初版を1779年と紹介しながら、資料価値の
高い初版である安永版の地図を載せず、かわりに弘化版をカラーで載せたのです
が、これはどうもふに落ちません。
  よく知られているように、安永版は諸国の色分けに際し、竹島・松島の色を
隠岐国とは異なり、朝鮮と同様に無色にしました。もし、この安永版を載せたら、
見る人に竹島・松島は日本領外であるとの印象を与えかねないので、わざわざ竹
島・松島が隠岐国と同じ色に彩色された弘化版を選んだのでしょうか。
  さらに気になるのは、なぜ外務省は赤水図を持ちだしたのでしょうか。領有
権論争において重要なのは官撰書や官撰図であり、赤水図などの私撰図は単なる
参考でしかありません。
  そうした観点からすると、官撰書の『隠州視聴合紀』は、日本が竹島=独島
の存在を知っていた好例ですが、これにパンフレットは一言もふれていません。
これらの問題については第3回「領有権」のところで書く予定です。

(注1)保坂祐二「<竹島問題研究会>「最終報告書」の問題点」『独島=竹島
論争』(韓国語)ポゴサ刊、2008、P244
(半月城通信)URLリンク(www.han.org)


387:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 15:46:13 Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判2、(1) 2008/ 4/12 13:46 [ No.16409 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

2.「韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません」

  パンフレットは、この表題につづけて韓国の主張をこう記しました。
       --------------------
  例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗実録地理
誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『東国文献備考』(1770年)
、『萬機要覧』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という
二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島で
あると主張しています。
       --------------------
  外務省のいう「韓国側」とは何を指すのか不明ですが、少なくとも韓国政府
が日本政府に宛てた公式の反論に『三国史記』は登場しません(注1)。外務省
は幻の主張に振りまわされる一方で、重要な『世宗実録』地理誌への反論はない
ようです。
  同書に「于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。お互いに遠くなく、風
日が清明であれば望見することができる」とありますが、この記事こそ「韓国が
古くから竹島を認識していたという根拠」として韓国政府が強く主張したのでし
た。
  かつて、外務省の川上健三氏はその主張に反論するため、欝陵島から竹島=
独島は見えないと主張したくらいでした。その主張は、欝陵島で少し高いところ
へ行けば充分見えると反論され、川上氏の努力は徒労に終りました。それほど重
要な文献である『世宗実録』地理誌にパンフレットは一言もないようです。
  つぎに、パンフレットはこう記しました。
       --------------------
  また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引
用された『輿地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹
島)である」と主張しています。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山
島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から
直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。その研究は、
『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性の低い供述(5.参照)を無批判に
取り入れた別の文献(『彊界考』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると
指摘しています。
       --------------------
  この文に外務省の調査不足が露呈しているようです。というのも、『輿地志』
の本来の記述は、決して「于山島と欝陵島は同一の島」としているのではなく、
別々の島であると記述しているからです。ここにいう『輿地志』は柳馨遠『東国
輿地志』とされますが、同書の口語訳は下記の通りです(注2)。
       --------------------
于山島、欝陵島
  一に武陵という。一に羽陵という。二島は県の真東の海中にある。三峰が高
くけわしく空にそびえている。南の峯はすこし低い。天候が清明なら峯のてっぺ
んの樹木やふもとの砂浜、渚を歴々と見ることができる。風にのれば、二日で到
着できる。一説によると于山、欝陵島は本来一島という。その地の大きさは百里
である。
       --------------------
  この文は官撰書である『東国輿地勝覧』と完全に同じです。といっても剽窃
ではありません。元来『輿地志』は、その「凡例」に断り書きがあるように、目
的は『東国輿地勝覧』の「増修」にありました。
(つづく)


388:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 15:46:48 Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判2、(2) 2008/ 4/12 13:47 [ No.16410 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

  当時、名著の『東国輿地勝覧』は出版後 200年近く経過し、その間に変動
が多々あったので、その増補を目的に『輿地志』が書かれたのでした。したがっ
て、于山島のように変動がない記述はそのままにされました。
  つまり『東国輿地勝覧』も『輿地志』も于山島と欝陵島を別々の島とし、一
島説を単なる一説として書いたのでした。したがって、外務省の解釈は明らかに
誤りです。
  外務省がそのような初歩的な誤りを犯したのは、パンフレットが述べる、あ
る「研究」をウノミにしたからでしょうか。その研究とは下條正男氏の研究を指
すようです。下條氏はこう記しました。
       --------------------
  オリジナルの『輿地志』では、「一説に于山鬱陵本一島」と于山島と鬱陵島
は同じ島の別の呼び方(同島異名)としているが、松島(現在の竹島)にはまっ
たく言及していなかった、ということである(注3)。
       --------------------
  下條正男氏のように、資料の一部分だけを意図的に取りあげれば、資料の著
者の見解とは正反対の解釈すら可能です。『輿地志』は本説で于山島と欝陵島を
別々の島にし、一説で両島は本来一島としたのですが、下條氏は一説の記述のみ
をとりあげ、『輿地志』の見解とは正反対の見解を、さも『輿地志』の見解であ
るかのように記しました。
  これは下條氏のいつもながらの我田引水的な手法なので驚くにはあたらない
のですが、外務省はその誤った恣意的な解釈をそのまま信じ、原典を確認すると
いう基本的な作業を怠ったたようです。
  その埋め合わせなのか、外務省は下條氏の見解を同省の公式見解とせず、そ
うした「研究もある」と周到に逃げ道を用意してパンフレットを製作したようで
す。姑息なやり方ではないでしょうか。
  パンフレットの説明では『輿地志』と『彊界考』などの関係がわかりにくい
のですが、『輿地志』は申景濬により『疆界考』および官撰書である『東国文献
備考』の分註に次のように引用されました。
『疆界考』(1756)
  按ずるに 輿地志がいうには 一説に于山 欝陵は 本一島 しかるに諸図志を
考えるに二島なり 一つはすなわちいわゆる松島にして けだし二島ともにこれ于
山国なり
『東国文献備考』「輿地考」(1770)
  輿地志がいうには 欝陵 于山は皆 于山国の地 于山はすなわち倭がいうとこ
ろの松島なり
  一般に、古文書は日本のみならず韓国や中国でも句読点が一切ありません。
したがって、この場合でも分註のどこまでが引用で、どこからが申景濬の見解な
のかはっきりしません。
  『輿地志』の原文を分析すると、『疆界考』の場合は下條氏がいうように
「一説に于山 欝陵は 本一島」が『輿地志』の引用文であり、それ以下は申景濬
の見解であることがわかります。申景濬は『輿地志』や『東国輿地勝覧』に参考
として書かれた一説(一島二名説)を完全に否定するため、ことさら『疆界考』
でその一説を特記したとみられます。その一方、当時は本説である二島二名説は
自明であったためか、分註で特にふれなかったと見られます。
  つぎに『東国文献備考』の場合は、「欝陵 于山は皆 于山国の地」が引用文
であり、それ以下の「于山はすなわち倭がいうところの松島なり」は申景濬の見
解であることが『輿地志』からわかります。
  一時、私は『東国文献備考』においての引用文献名を『疆界考』とすべきな
のに申景濬は誤って『輿地志』にしたのではないかと考えたこともありました。
しかし、やはり上記のように解釈するのが妥当ではないかと思います。もちろん、
くだんの下條正男氏がいうような史書の「改竄」などはなかったというべきです。
(つづく)


389:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 15:47:37 Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判2、(3) 2008/ 4/12 14:03 [ No.16412 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong



  おわりにパンフレットは『新増東国輿地勝覧』の付属絵図を批判しました
が、そもそも絵図は地図と違って、不正確なのが特徴です。しかも『東国輿地勝
覧』のように16世紀の絵図とあっては、離島などはその位置や大きさなど、ほ
とんどデタラメに近くて当然です。
  外務省は、于山島は「鬱陵島よりはるかに小さな島として描かれるはずです」
と記しましたが、そうした批判は絵図でなく地図に向けられるべきです。
  その点、外務省が竹島=独島を「的確に記載している地図」としている長久
保赤水の「地図」には外務省の批判がストレートに当てはまります。同図は竹島
と松島を同じくらいの大きさで描いているので、外務省の「大きさ」批判にまっ
たく耐えられません。さらに、同図における竹島・松島の位置は、もちろん実際
とは違っています。

  19世紀の赤水の地図ですらこのような有様です。ましてや16世紀の絵図
を取りあげて、何か議論すること自体、ほとんど無意味です。絵図は、単に当時
の人々の空間認識を絵で表現したにすぎません。
  さきの『新増東国輿地勝覧』の付属絵図でいえば、これは単に東海に于山・
欝陵の二島が存在するという空間認識を表現したと理解すべきであり、それ以上
の議論は本末転倒です。

(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」『レファレンス』2002.
6月号
(注2)『東国輿地志』「于山島 欝陵島」の原文
 www.kr-jp.net/rok/jiri/yojiji-usan.pdf
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004,P100

(半月城通信)URLリンク(www.han.org)


390:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 15:51:17 7qgIDT9y
なにをどうほざこうと、韓国からは、
古代の「于山島」が現在の竹島である
という証拠は、一切出てこない。

391:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 17:09:19 Ua4bSu63
半月城相変わらず意味なくなげーな
まーとりあえず半月城も日本の外務省の主張を納得して
竹島は日本領だと認めたわけだ
後は不法占拠している韓国人が竹島から出て行くだけだな

392:ケケケケケ!
08/04/12 21:43:29 B5f2FZJJ
無駄になげーな、半月城センセ。
要点だけを簡潔に述べるべきだ。だらだら長く書いても中身スカスカじゃあ読む気が失せるよ。

393:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/12 21:55:29 Tnm8lKTp
ヒント:簡潔に書くとウソがばれる → 類例:詐欺師のセールストーク

394:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/13 08:56:19 36wKYHEE
●半月城先生著書、韓国語版出版
独島=竹島論争  朴炳渉、ポゴサ

紹介文
日本政府の「独島(日本名竹島)固有領土論」を韓国と日本の新しい史料に即し
て批判的に検証した「独島=竹島論争」が2007年日本で出版された。この本は日
本の代表的な独島研究が内藤正中島根県立大学名誉教授と日本国内の市民団体で
ある「独島・竹島問題研究ネットワーク」 代表朴炳渉さんが日本人が独島問題
に対して正しい歴史的事実を共有したらと思って一緒に著したのだ......以下省略

著者紹介
独島研究者として <竹島=独島問題研究ネットワーク> 代表。半月城通信(
URLリンク(www.han.org)) サイトを日本で運営し、韓日間葛藤問題専門
研究者でもある。著書:『姜徳相先生古希・退職記念、日朝関係史論集』(共著)、
『安龍福事件に対する検証』(韓国海洋水産開発院、2008)など。論文:「日本
の竹島=独島放棄と領土編入」『飛礫』47号など。

目次
序文
訳者の言葉
第1章独島は日本の「固有領土」か?
第2章独島の歴史上の争点
第3章日本側主張を批判する
第4章鬱陵島-独島紀行
第5章資料
URLリンク(www.booksetong.com)


395:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/13 21:30:09 s92NK0b1
●保坂祐二教授、島根県竹島問題研究会最終報告書を批判!
URLリンク(www.dbpia.co.kr)
島根県 「竹島問題研究会」の「竹島問題に関する調査研究-最終報告書」の問題點 - 太政
官指令文に対する下條正男の見解を中心に-
The Problem in the Last Report of Shimane prefecture's Study Circle for Takeshima - Centering
the Point of View for the Document of Dajokan Directive by Masao Shimojo -
(保坂祐二, Hosaka Yuji)
pp. 421~444 (24 pages)

2007年5月、下条正男教授が座長を務める島根県「竹島問題研究会」は、2年間継続し
た「竹島問題に関する調査研究」を終え、「最終報告書」を提出した。この最終報告書の
中で、下条正男は1年前の中間報告で認めた内容(=太政官が松島「独島」を日本領では
ないという指令を出したこと)を翻し、再び太政官指令の中に登場する「竹島外一島」の
うち、竹島は実際には存在しない島であり、外一島は松島ではあるが欝陵島であって、独
島ではないと主張した。彼は、2005年の著書と2006年の中間報告では、外一島を独島と
認め、1877年に太政官が欝陵島と独島を朝鮮領と認めたことを告白した。しかし2007年
の時点で、彼は再びそれを翻した。彼は、太政官はシーボルトが誤って記した日本地図を
見て、そこに記載されたアルゴ形ート(Takashimaとも記載、存在しない島)とダジュレー
(Matushimaとも記載、経緯度から欝陵島である)を「竹島外一島」として版図外宣言をし
たと主張する。しかし、太政官がシーボルトの地図を見て判断したという資料的根拠はど
こにも存在しない。
太政官指令文の中に記載された松島に関して精密な分析をすれば、紛れもなく今日の独
島を指していることが判明する。指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一
島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。下条が良心を捨てた
歪曲行為を繰り返すのは、韓国側は騙せなくとも、専門知識の無い日本の国民と日本政府
を騙せると考えているからであろう。

最終報告書, 太政官, 竹島外一島, 島名混乱, The last report, Dajokan, Takeshima and the
other island, Confusion of the name of the island



396:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/13 22:39:07 SPINi8PF
●日本の竹島(独島) 論争の最前線 :朴炳渉氏
日本では,在日·韓国人も住んでいることから,活発に討論をしている.
難しい討論をしている場所が, Yahoo!掲示板だ.
今度は,韓国側の主張を代弁している朴炳渉を紹介しよう.
彼は,半月城通信と言う SITEを運営しているし,
活発に竹島(独島) 問題の論告を発表している.
URLリンク(www.han.org)
彼は,在日韓国人の組職·民団に所属しているようだ.
そして,竹島(独島) 問題の責任者みたいだ.
組職に加盟している人脈を活用することができるため,すごく資料と情報を持っている.
討論でも活発に投稿して,
討論を続いて来たが,最近には,事情が良くないことには答えない.
それに彼は長文の投稿をしかし,
長い文章を投稿してもレトリックがあまりにも多くて,結論の途方もない場合が多い.
すなわち,論文は討論に不正をしていっそうもっと人間性までも問題になってしまっている.
彼は韓国の政府 機関 =
韓国海洋水産開発院独島研究センターの海外諮問委員であることが判明した.
<<韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員柳美林博士の国外出張復命書>>
この文書が NETに流出したから分かった.
こんな立派な地位にいる人なのに,討論の姿勢や人間性が問題になってしまっている.
彼によって,韓国のイメージが毀損するようになっていることは残念だ.
また,彼によって,
日本の情報はすっかり韓国の政府機関は分かっている.
それなのに,韓国は有効な反論をしていないことが現状だ.
2008/02/19 午前 8:45 |dokdo essay
URLリンク(kr.blog.yahoo.com)

397:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/14 09:29:10 dpuBiBOZ
●日本の竹島(独島) 論争の最前線 :朴炳渉氏

日本では,在日·韓国人も住んでいることから,活発に討論をしている.
難しい討論をしている場所が, Yahoo!掲示板だ.
今度は,韓国側の主張を代弁している朴炳渉を紹介しよう.
彼は,半月城通信と言う SITEを運営しているし,
活発に竹島(独島) 問題の論告を発表している.
URLリンク(www.han.org)
彼は,在日韓国人の組職·民団に所属しているようだ.
そして,竹島(独島) 問題の責任者みたいだ.
組職に加盟している人脈を活用することができるため,すごく資料と情報を持っている.
討論でも活発に投稿して,
討論を続いて来たが,最近には,事情が良くないことには答えない.
それに彼は長文の投稿をするが,
長い文章を投稿してもレトリックがあまりにも多くて,結論の途方もない場合が多い.
すなわち,論文は討論に不正をしていっそうもっと人間性までも問題になってしまっている.
彼は韓国の政府 機関 =
韓国海洋水産開発院独島研究センターの海外諮問委員であることが判明した.
<<韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員柳美林博士の国外出張復命書>>
この文書が NETに流出したから分かった.
こんな立派な地位にいる人なのに,討論の姿勢や人間性が問題になってしまっている.
彼によって,韓国のイメージが毀損するようになっていることは残念だ.
また,彼によって,
日本の情報はすっかり韓国の政府機関は分かっている.
それなのに,韓国は有効な反論をしていないことが現状だ.
2008/02/19 午前 8:45 |dokdo essay
URLリンク(kr.blog.yahoo.com)


398:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/14 09:41:40 FSZPyHrs
実質支配しているのになんて期待通りの亜人類どもだ。

399:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/15 23:35:15 SLUfwS6Z
2008-04-15 23:04:24

2月に起きた中東での大規模通信接続障害、韓国籍の船舶が事情聴取
URLリンク(www.technobahn.com)

この韓国籍の船舶は、海底ケーブルの切断された前後に撮影された衛星写真を使った捜査活動の末
ケーブル切断の「容疑者」として浮かび上がったもので、報道によると船舶の責任者は当局による事情聴取で容疑を認め
賠償金の支払いを確約したことから現在は、拘束は解かれたとしている。

400:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/16 23:48:11 q/nGCTot
●半月城先生の最新見解
外務省パンフレットへの批判3、(1) 2008/ 4/16 21:08 [ No.16446 / 16449 ]

投稿者 : ban_wol_seong

3.(江戸時代の領有権)
 外務省曰「日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、
  遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」
  外務省の「竹島」パンフレットは日本が17世紀半ばに「竹島の領有権」を確立した
根拠として、大谷・村川両家が竹島=独島を下記のように利用したと記しました。
       --------------------
  隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかりとして、
また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。
       --------------------
  驚いたことに、パンフレットで外務省のいう根拠はこれがすべてです。一体、以前の
公式見解はどうなったのでしょうか? かつての外務省は下記のように主張していまし
た。
       --------------------
  欝陵島への往復の途次、船がかりの地として、またアワビ等の魚採地として利用され
ていたのが当時松島の名でよばれていた今日の竹島であり、この島に対して大谷、村川両
家が、さきの鬱陵島と同じく幕府から渡海免許を受けるようになったのは、明暦2年(1656
年)またはそれ以降のことであった。
 ・・・
 『隠州視聴合紀』(1667年)も、松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって日本の
西北の限界と見ている(注1)。
       --------------------
  もし、かつての外務省がいうように、大谷・村川両家が幕府から「松島渡海免許」を
受けていたのなら、幕府は竹島=独島に領土意識をもっていたことになり、領有の有力な
根拠になります。
  また 1667年当時、隠岐国を管轄する雲州松江藩の命により編纂された『隠州視聴合
紀』に竹島・松島が日本の西北の限界であると書かれていたのなら、これも竹島=独島に
対する領有の強力な根拠になります。
  しかし、なぜかパンフレットはそうした有力な「根拠」を満載した過去の主張には一
切ふれませんでした。特に『隠州視聴合紀』の解釈に関していえば、その解釈をめぐって
韓国政府から日本の西北の限界は隠岐であるとの指摘を受けたにもかかわらず、それに対
する反論がないばかりか、その後も『隠州視聴合紀』に関して沈黙したままでした。
  これは韓国政府がいうように、やはり日本の西北の限界を竹島・松島とするのは無理
だと判明したからではないでしょうか。『隠州視聴合紀』で竹島(欝陵島)は御朱印を受
けた船が行く場所と認識されていたのでした。
  外務省に追いうちをかけるように、池内敏氏は日本の西北の限界は竹島・松島でなく、
隠岐島であることを論証しました(注2)。また、『隠州視聴合紀』を徹底分析した大西俊
輝氏も同様の論証をしました(注3)。
  他方、外務省が「松島渡海免許」についても沈黙しているのは、やはりその主張も無
理だと判断したからではないでしょうか。国会図書館の塚本孝氏も渡海免許は「恐らく出
されなかった」と記しました(注4)。下條正男氏ですら「松島渡海免許」を主張してい
ないようです。
  日本におけるこのような研究の結果、外務省のかつての主張は音もなく崩れさったよ
うです。それは砂上の楼閣のような存在でした。その結果、外務省はパンフレットに書か
れていることくらいしか領有権の根拠を見出せないようですが、それが不十分であること
は明らかです。


401:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/16 23:49:06 q/nGCTot
外務省パンフレットへの批判3、(2) 2008/ 4/16 21:11 [ No.16447 / 16449 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  かつて、外務省は江戸時代における領有権の根拠として必要な要件を次のように主
張していました。
       --------------------
  開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土と
して取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認めら
れる(注5)。
       --------------------

  ここに書かれた「実際に日本の領土として取り扱い」という要件を満たすためには、
竹島=独島が官撰書や官撰図などの公文書にしかるべく記載されていることが必要です。
しかし、そのような公文書は存在しません。
  公文書では、次節にみるように、史料『竹島之書附』などで竹島=独島は日本領でな
いとされます。さらに、官撰図でいえば、幕府の絵図や伊能忠敬などの地図に竹島=独島
が記載されていないことは周知のとおりです。一方、鳥取藩の一部の地図に竹島=独島が
記載されていますが、これは次節にみるように、当の鳥取藩が竹島=独島は自藩領でない
と明言しているので問題外です。
  なお、長久保赤水の「日本輿地路程全図」を堀和生氏は官撰地図としていますが、赤
水図はたとえ幕府の許可を得たとしても、幕府が発行したものではないので官撰地図とは
呼べません。
  結局、日本は17世紀に竹島=独島を「日本の領土」ではないと考えていたことが明
らかです。それでは、日本は同島をどこの領土と考えていたのでしょうか?
  江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋
近所之小嶋」などと書かれました。松島は竹島(欝陵島)の属島として扱われたことが明
らかです(注6)。
  松島は、松の木が一本もないにもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島とペアで考え
られ、縁起物の松竹という発想から命名されたようです。外務省が強調する赤水図でも両
島はペアないしは一体に表記され、両島間に「見高麗猶雲州望隠州」などの書き込みがな
されました。同図で松島・竹島は密接不可分の関係です。
  つぎに、ペアの一方である竹島(欝陵島)が朝鮮領と考えられていたことは幕府の外
交文書を収めた『通航一覧』から明らかです。同書の巻129に「元和六庚申年、宗對島守
義成、命によりて、竹島[朝鮮國屬島]に於て潜商のもの二人を捕へて、京師に送る」と書
かれ、竹島は朝鮮国の属島とされました。。
  同書にいう潜商とは鷺坂弥左衛門・仁右衛門親子ですが、かれらが磯竹島(欝陵島)
で材木を伐っていることが朝鮮に知られ、それを朝鮮通信使から指摘されたので、幕府と
してはかれらを捕えざるを得なかったのでした。
  また、かれらを捕えた対馬藩は、かつて欝陵島へ移住したいと朝鮮へ申入れ、それを
朝鮮から拒否されたことがありました。このように当時の幕府および対馬藩は欝陵島を朝
鮮領と認識していたのでした。
  そのような欝陵島の属島である松島(竹島=独島)で大谷・村川両家が漁獲を行うこ
とは、朝鮮国での密漁ないし略奪行為になることはいうまでもありません。そうした密漁
や略奪を重ね、それを根拠に「領有権を確立した」と主張するのは、空き巣犯の居直りで
はないでしょうか。
(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」
  『レファレンス』2002.6月号,P52
(注2)池内敏<「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって>
  『大君外交と「武威」』2006,P323
(注3)大西俊輝『続日本海と竹島』東洋出版,2007
(注4)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、1996,P2
(注5)外務省情報文化局「竹島の領有権問題の国際司法裁判所への付託につき韓国政府
に申入れについて」『海外調査月報』1954年11月,P70
(注6)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院、1996、P74,78,80

(半月城通信)URLリンク(www.han.org)



402:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/16 23:50:10 q/nGCTot
外務省パンフレットへの批判3、(2) 2008/ 4/16 21:11 [ No.16447 / 16449 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  かつて、外務省は江戸時代における領有権の根拠として必要な要件を次のように主
張していました。
       --------------------
  開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土と
して取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認めら
れる(注5)。
       --------------------

  ここに書かれた「実際に日本の領土として取り扱い」という要件を満たすためには、
竹島=独島が官撰書や官撰図などの公文書にしかるべく記載されていることが必要です。
しかし、そのような公文書は存在しません。
  公文書では、次節にみるように、史料『竹島之書附』などで竹島=独島は日本領でな
いとされます。さらに、官撰図でいえば、幕府の絵図や伊能忠敬などの地図に竹島=独島
が記載されていないことは周知のとおりです。一方、鳥取藩の一部の地図に竹島=独島が
記載されていますが、これは次節にみるように、当の鳥取藩が竹島=独島は自藩領でない
と明言しているので問題外です。
  なお、長久保赤水の「日本輿地路程全図」を堀和生氏は官撰地図としていますが、赤
水図はたとえ幕府の許可を得たとしても、幕府が発行したものではないので官撰地図とは
呼べません。
  結局、日本は17世紀に竹島=独島を「日本の領土」ではないと考えていたことが明
らかです。それでは、日本は同島をどこの領土と考えていたのでしょうか?
  江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋
近所之小嶋」などと書かれました。松島は竹島(欝陵島)の属島として扱われたことが明
らかです(注6)。
  松島は、松の木が一本もないにもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島とペアで考え
られ、縁起物の松竹という発想から命名されたようです。外務省が強調する赤水図でも両
島はペアないしは一体に表記され、両島間に「見高麗猶雲州望隠州」などの書き込みがな
されました。同図で松島・竹島は密接不可分の関係です。
  つぎに、ペアの一方である竹島(欝陵島)が朝鮮領と考えられていたことは幕府の外
交文書を収めた『通航一覧』から明らかです。同書の巻129に「元和六庚申年、宗對島守
義成、命によりて、竹島[朝鮮國屬島]に於て潜商のもの二人を捕へて、京師に送る」と書
かれ、竹島は朝鮮国の属島とされました。。
  同書にいう潜商とは鷺坂弥左衛門・仁右衛門親子ですが、かれらが磯竹島(欝陵島)
で材木を伐っていることが朝鮮に知られ、それを朝鮮通信使から指摘されたので、幕府と
してはかれらを捕えざるを得なかったのでした。
  また、かれらを捕えた対馬藩は、かつて欝陵島へ移住したいと朝鮮へ申入れ、それを
朝鮮から拒否されたことがありました。このように当時の幕府および対馬藩は欝陵島を朝
鮮領と認識していたのでした。
  そのような欝陵島の属島である松島(竹島=独島)で大谷・村川両家が漁獲を行うこ
とは、朝鮮国での密漁ないし略奪行為になることはいうまでもありません。そうした密漁
や略奪を重ね、それを根拠に「領有権を確立した」と主張するのは、空き巣犯の居直りで
はないでしょうか。
(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」
  『レファレンス』2002.6月号,P52
(注2)池内敏<「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって>
  『大君外交と「武威」』2006,P323
(注3)大西俊輝『続日本海と竹島』東洋出版,2007
(注4)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、1996,P2
(注5)外務省情報文化局「竹島の領有権問題の国際司法裁判所への付託につき韓国政府
に申入れについて」『海外調査月報』1954年11月,P70
(注6)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院、1996、P74,78,80

(半月城通信)URLリンク(www.han.org)



403:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/17 00:10:05 4m6fL39B
たんに長いだけの文章は不必要と考えて
外務省は単純明快にしただけだろ

半月城は長ければいいと考えて書いてるのか?バカだろ
というか嘘吐きがそのウソを弁明するとむやみに長い言い訳になるが
半月城のムダに長い文章はまさにその典型例といえるな

404:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/04/18 01:42:05 m+GU5eEi
憂国の士:S先生

ご近所に以前韓国の大学で、今はT大学で教鞭を取られている「竹島は日韓どちらのも
の」という本を書かれたS先生がお住まいだ。
普段は挨拶をする程度のお付き合いだが、その先生が昼過ぎに町内会の御用で来訪された。
29軒あるわがブロックの理事当番が今年回って来たのだそうだ。

署名捺印している間に、父が京城師範学校にいたので朝鮮半島に関心があることや先生の
著書を拝見した話から始まり、国政問題や教育問答まで、一時間ほど話に花が咲いた。
日頃抱いている政治や教育などへの様々なフラストレーションを一気に吐露でき、共感し、
久々に濃い話を伺うことが出来た。いわば個人授業を受けたようなものだ。

夏にはT大学内でS先生指導の下、学生や留学生が中心となって、かつて二宮尊徳や農
業協同組合の祖である大原幽学が行ったようなプロジェクトを立ち上げ、地元の技術力を
生かした活性化や弱者へのケア、牽いては国の在りようにも影響を与えたいとのことだ。
日本が今抱えている諸問題解決の大いなる糸口になるのではないかと思える、素晴らしい
企画だと感じた。
T大学は100年ほど前に朝鮮半島で同じような運動を行っていて、今、そのルネッサン
スの一環として大学も賛同しての事業なのだそうだ。
夏には是非ともその企画に参加してみようと思う。

URLリンク(porcamadonna.at.webry.info)


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch