【台湾】貫通から92年 廃線のトンネルに今も残る2人の日本人総督が揮毫した文字[04/01]at NEWS4PLUS
【台湾】貫通から92年 廃線のトンネルに今も残る2人の日本人総督が揮毫した文字[04/01] - 暇つぶし2ch1:~^◇^)<誤訳あったらごめん。@シャイニング記者。φ ★
08/04/04 01:40:22

旧掃叭トンネルにある2人の日本人総督の文字
---
1本のトンネルから2人の日本人総督によって記された文字があった。
民国74年(1985年)に使用されなくなった花東線(*1)の旧「掃叭トンネル」(*2)は、
赤レンガで造られ、今なお堂々とした迫力を感じさせる。
このトンネルの両側の銘板には、日本統治時代の総督である佐久間左馬太と、
安東貞美(*3)がそれぞれ書いたものがあり、多くの鉄道ファンから愛されている。

台湾東部の物資輸送を便利にするため1910年に始まった鉄道建設で、
台湾総督府は台東北線(花蓮から玉里)の建設を計画した。
なかでも舞鶴台地は花東縦谷で唯一の高地であったが、
当時の鉄道建設では最大の挑戦となった。

大正3年(1914年)、日本人が「掃叭トンネル」の建設を開始した。
しかし、豊富な地下水によって、施工中は何度も何度も崩落を繰り返し、
多くの作業員が犠牲となった。現在でも北側の出口には殉職した日本人の墓碑がある。
大正5年(1916年)にようやく完成した「掃叭トンネル」は、
全て赤レンガで造られ、人々の心に深く刻まれるものとなった。

面白いのは、現在の政府が花東鉄路の改良工事を行った際、
この「掃叭トンネル」の近くに新たに「自強第一トンネル」「自強第二トンネル」を掘った際にも
またしてもかつて日本人が「掃叭トンネル」を掘削した時と同じ「問題」が発生し、
民国71年(1982年)開通の計画が民国74年(1985年)まで延ばさざるを得なかったことだ。

日本統治時代に造られた他の赤レンガのトンネルと異なり「掃叭トンネル」が特別なのは、
その両方の入口に2代の台湾総督の書いた銘板があることだ。
建設時の台湾総督である佐久間左馬太と、完成時の台湾総督である安東貞美の書いた文字が、
それぞれ北側と南側に「無窮」、「宏達」と書かれている。
この2枚の銘板は、台湾の鉄道ファンに最も愛されるとともに、
台湾東部における鉄道発展の歴史の証人となっている。
惜しいのは、北側はほぼ完璧に残っているのだが、
南側の出口は早くから崩れてしまっていることだ。

★ ソースは、中国時報 [台湾] とか。
URLリンク(news.chinatimes.com) (中国語・繁体字)

★ 訳註。
(*1) 台湾の東海岸を走る台湾鉄路管理局の台東線(通称:花東線)は、
  1970年代後半から改軌および新線切り替え工事が行われ、
  急勾配がネックだった「掃叭トンネル」も、「自強第一トンネル」「自強第二トンネル」が
  完成したことによって、1984年末をもって使われなくなった。
(*2) ちなみに「掃叭」(サッパ)は、現住民族のアミ族の言葉で「木の板」。
(*3) 起工時、竣工時の台湾総督。在任はそれぞれ1906~1915年、1915年~1918年。

★ 画像。(いずれも台湾鉄路管理局から。)
URLリンク(service.tra.gov.tw) (北側の「無窮」。)
URLリンク(service.tra.gov.tw) (南側の「宏達」。)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch