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おながいします。
「チベットに自由を」 在日亡命者ら、抗議の訴え
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2008年04月05日18時59分
チベットでの騒乱を機に、中国に人権問題の改善を求める国際世論が広がりつつあ
る。日本からの訴えの中心にいるのが、国内に約60人いると言われる在日チベット
人だ。雪と山と仏教の地から亡命してきた人々は、故郷に思いをはせ「チベットに自
由と人権を」と声をあげている。
名古屋市のツェリン・ドルジェさん。先月22日、支援グループのメンバーら千人
余りと、東京・六本木で中国への抗議デモをした。
年齢を尋ねられれば34歳と答える。だが本当は、いつ生まれたのか正確に知らな
い。父は、中国のチベット進駐後、ゲリラとして戦った。逃避行の末、母とインド
へ。ツェリンさんが生まれた。
最も古い記憶は、首に下げた袋から漂うゆで卵のにおいだ。亡命政府がインドに
作った「子供の村」にツェリンさんを10年にわたって預けることになった時、母が
去り際にくれた。腐っても捨てられなかった。
「子供の村」では、約500人の仲間と共同生活し、見たことのない祖国の文化を
学んだ。朝晩1時間の祈り、チベットの踊り……。「亡命者」は英語で「REFUG
EE」と書く。「みんなの額にはRと刻まれている」と木の下の授業で先生は繰り返
した。「私たちの国は、山の向こうにあるのよ」
インド旅行に来ていた日本人と結婚。99年に来日し、鉄工所で働いた。「どこか
ら来たの?」「チベット」「それどこさ?」。自分はチベット人だ―強く思った。
数年前に「村」を再訪すると、子供が中国語を話していた。「このままでは自分た
ちの言葉が消えてしまう」と立ち上がることを決意。米国に本部があるチベット支援
団体の日本支部代表に今年就いた。「中国人もチベット人も、赤い血が流れる人間同
士。中国人を憎みはしない。ただ自分たちの文化、宗教を守りたいだけなのです」
■星空の記憶、難民支援に汗
「チベットで起きていることは、(武力鎮圧があった)49年前から全く変わって
いない」。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を、中国政府が「国家分裂
主義者」と非難するのを聞き、埼玉県日高市の医師西蔵ツワンさん(55)はそう感
じる。
チベット第2の都市シガツェで生まれた。政府の役人だった父は、民衆蜂起を中国
が武力鎮圧した59年、ダライ・ラマらとインドに亡命した。
母とともに残された西蔵さんは「反ダライ・ラマ教育」を受け、父のことをずっと
「国家分裂主義者」だと思っていた。3年後に父を追って亡命し、見方が変わった。
難民キャンプにいた65年、13歳で日本に留学。将来のチベットを担う人材を育
てる亡命政府の政策の一環だった。医学を志し、埼玉県の大学で学んだ。
チベットにいたのは10歳ごろまで。夏に屋根の上で寝ながら見た満天の星空がわ
ずかに残る故郷の記憶だ。むしろ日本からチベットや中国を見るうちに、チベット人
意識が強くなった。
日本国籍を取得する時、チベットを漢字で表す西蔵を姓にした。今もチベット難民
の支援を続け、世界中に散らばるチベット人医師のまとめ役も務める。故郷に帰る日
まで、海外で支援を続けるのが自分の役目だと考えている。「チベット人が固有の文
化と伝統を守りながら自由に暮らせるように、中国政府も話し合いに応じてほしい」
〈チベット問題〉 中国西南部にあるチベット自治区は人口277万人中、チベッ
ト族が9割以上を占める(05年)。かつて英国の影響下にあったが、49年の新中
国成立後、51年に中国軍が中心都市ラサに進駐。59年には動乱を軍が鎮圧し、ダ
ライ・ラマ14世がインドに脱出、ダラムサラに亡命政府をつくった。その後も自治
区では抗議行動が発生し、89年には中国当局がラサで戒厳令を施行。今年3月中旬
にラサでの僧侶らのデモ隊に死者が出たことを機に、デモは各地に広がり、北京五輪
の聖火リレーへの抗議も起きている。