08/03/30 13:06:09 RG/OfXUC
やがて大きく育ち、白や紅の花を咲かせるうつくしい桜。その桜のうつくしさにひかれて、根こそぎ桜の木を
持ってゆく人が、跡をたたなくなりました。
抜かれては植え、抜かれては植え、この二十年間で、王さんが「補足」した桜は、千八百本にもなります。
あるときは、桜の木を盗んでいるのを見た人が、そのあとを尾行して王さんに、「盗んだ人の家を
つきとめたから、警察に突き出しなさい」と言いました。
でも王さんは、その人をとがめようともしません。
「いいんだよ、その人が取って帰って植えても、人が見て、きれいだなと思ってくれ
たらいいよ。個人じゃない、みんなが見てくれたらいいんだよ」
道ゆく人が、桜を植える王さんを見て声をかけます。
「いくらで雇われてるんだね?」
村から雇われて桜を植えていると思うからです。
「月に二万元だよ」
自分でお金を出して桜を植えていることなど、だれも信じてくれないので、そう言いつづけてきたのです。
「黙って植えて、桜が咲く。それが私の成功」
あるとき、自動車事故で、王さんの植えた桜の木があったために、命が助かった人がありました。
その事故がきっかけとなって、王さんが二十年間、無償で桜を植えつづけたことが、はじめてわかったのです。
そして、台湾では個人としてははじめて、台湾交通部(日本の国土交通省に当たる)から、
最高の栄誉である「金路賞」を受賞したのです。
インタビューにうかがった翌朝、王さんはいつものように五時に起きて、霧社から歩きはじめます。
脳梗塞で動かなくなった右手にかわって、左手に剪定鋏をさげて……。
「王さんは、死ぬまで桜を植えつづけるんですか?」
「桜を植えると決めたら、植えつづける。これが日本精神だよ」
そのひとことが、台湾の心地よい風と、桜の彩りともに、いまもわたしの心の奥にひびいています。