08/03/26 01:27:32 isrPtWwt
「日帝の韓半島に対する侵略は、国際的与件によって段階的に具体化した。初めに、日
帝は、韓半島を自己の国防に不可欠な利益線と見做した。中国を退けた1894年以後に
は保護国論が頭をもたげた。以後、ロシアとの角逐の過程では、ロシアと韓半島の南北を
分割する交渉があった。ロシアを退けて大韓帝国を保護国化した後にも、日本内では保護
国論と併合論の間に一定の角逐があった。従来は完全に回避されて来たが、徹底的な実証
主義の立場から国際秩序と国際関係の移り変わりを重視する私たちは、このような事実を
加減することなく記述した。」
「日帝の抑圧的な支配体制は、意図しなかった結果を生んだ。日帝は韓国を植民地とし
て支配して同化させるために、日本人の財産権と経済活動の自由を保障する民事令を公布
した。ところが、民事令は、それが近代的形式の法律だったため韓国人にも財産権と経済
活動の自由を付与した。その点で、日帝の植民地支配は、民族的抑圧であると同時に世界
史的に近代文明が輸入される伏線の過程だった。」
「日帝の支配は銃刀で韓国人の財産を奪う前近代的、暴力的な収奪ではなく、近代的財
産制度と市場経済の原理に準ずるものだった。日帝は、韓国の支配のために日本の資本と
技術を取り入れた。その結果、植民地において日本人資本の主導する経済成長が起きた。
韓国人は経済成長の主導勢力ではなかったが、傍観者だけでもなかった。機会が与えられ
ると韓国人企業家も成長し、韓国人技術者と熟練労働者も成熟した。しかし人口成長が急
速だったため、農村の下層農民まで生活水準の改善が普及したわけでは決してなかった。」