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卓庚鉉たくこうげん(光山文博)
大正9年慶尚南道生まれ
立命館中学、京都薬学専門学校(現京都薬科大学)
大刀洗陸軍飛行学校分教所(知覧) 特別操縦見習士官一期生
昭和20年5月11日第51振武隊 第7次航空総攻撃として沖縄西海方面に陸軍戦闘機 隼にて出撃
戦死 24歳 2階級特進 大尉
辞世 たらちねの母のみとぞ偲ばるる弥生の空の朝霞かな
京都薬学専門学校を卒業、陸軍航空隊を志願し、昭和18年10月に特別操縦見習士官一期生として
難関を突破しみごと合格した光山文博は大刀洗陸軍飛行学校分教所(知覧)に配属となり、一年間の
訓練のちに19年10月に少尉に任官す。
その一カ月後の11月に軍人になることを反対した母を亡くしています。その母の死に目に駆け付けた
光山少尉に対して、「ひと足遅かったなあ。お母さんは、随分待っていたのになあ・・・。お母さんなあ、
お前の事を心配していたが、なくなる前には、もう諦めの心境なのか、『文博はもうお国に捧げた体だから、
十分に御奉公するようにいって下さい』と言い残したんだよ」「じゃあ、お父さんも、僕が戦死しても嘆き
ませんね」「日本が勝か負けるか、大変な戦争だよ。お前も十分戦ってくれ」
光山少尉は基地に戻ってただちに特攻志願の願書を書いて、師団長に提出。三重県明野で編成された
陸軍特別攻撃隊第51振武隊に所属。昭和二十年4月、知覧に進出。
<中略>
爆装隼にて昭和20年5月11日午前6時30分 第51振武隊 第7次航空総攻撃として沖縄西海方面に出撃、散華されました。
「日本陸軍隼大尉」と墓碑名に刻まれた墓で故郷の慶州で御両親といっしょに眠っているそうです。
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