08/03/23 23:02:44
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キム・ビョンモ漢陽大名誉教授
(訳注:許黄玉は金官加羅国の始祖である首露王の妃。インドの阿踰陀国の王女)
「考古学的証拠を拡大解釈すればバビロニアやユダヤ人の遺伝子が我が身に混じっている可能性もあ
るということです。今回の本には紹介しませんでしが、日本のある学者は攻撃されるんじゃないかと
心配してドイツ人の筆名で「大和はユダヤ人の王朝」だと書きました。」
これまで韓国と日本の遺伝子がそっくりだという話はたびたび聞いたことがある。しかし、バビロニ
アやユダヤ人まで拡張されるのは初耳だ。勿論「拡大解釈」と言う前提をつけてはいるが。それでも
一生を考古人類学で生きてきた学者の口から出た発言だから、ぞんざいに聞き流すのははばかられる。
「許黄玉(ホ・ファンオク)ルート-インドから伽耶まで」(歴史の朝/1万3千ウォン)を書いたキム・
ビョンモ(68)漢陽大名誉教授の主張は衝撃的だ。(中略)端緒は1961年ソウル大考古人類学科1回生だ
った時代、自分の金海(キムヘ)金氏のルーツを捜して金首露(キム・スロ)王陵を捜したことか
ら始まる。その場所で見つけた一対の魚の絵。つまり「双魚(サングオ)」だった。その双魚紋を捜
して46年間、インド・中国ばかりかパキスタン・イギリス・ドイツ・アメリカ・イランを歩き回った。
職業病ではないかときいたら中毒にかかった患者だと答えた。「双魚病」にかかったという。「歩い
ていても魚二匹が目の前にゆらめいて向い合って、反対から来る人とぶつかるのが常だったです。高
速道路を走っていて車を止めたこともありました。」米国メトロポリタン博物館を訪れた時も、彼の
目には双魚だけ見えた。「それがその場所にあるなんて。長年探してきたアッシリアの双魚紋だった
んです。魚様の司祭服を着た二人が向かいあって、ある木に水を振り撤いている場面です。直径が7ミ
リほどの円筒状の印章でした。」
今年2月には古代ペルシャ帝国のアケメネス王朝初期の首都パサルガダエで捜していた双魚紋を見つけ
た。2千500年前からコルスィ王(?)の宮殿を守っていた出入口の両方の壁面のレリーフ。壮健な男
のふくらはぎの後から魚のしっぽ部分が垂れ下がっていた。その時の歓喜をこのように表現した。
「地球上には私でなく双魚を探す人はいないようだが、双魚が一度仕えた主を守ってその場所に数千
年も立っている現場に出会ったのだ。背中にわわだつようなエクスタシーの瞬間だった。」
ギリシアの哲人アルキメデスが風呂場から裸になってた走り出して'ユーレカ'と叫んだように、そん
な歓喜の瞬間が数えきれなくある。ペルシャ神話を読んだ時がそうだった。人類の万病を直す霊薬で
あるコケレナランと言う木の実を守る二匹のあらたかな魚、その魚の名前が「カラ(Kara)」だった。
ペルシャ式の魚の名前が駕洛国の別称である加羅だなんて!「ペルシアの言語が韓国に入って来たの
じゃないか。国家の名前に使われるほど重要な語彙がペルシャと繋がったらこれまでにあったアフガ
ニスタンやミャンマーなどの国の文化要素も伽耶に紹介されなかったんでしょうか?」もちろん、彼
の作業に対する学界の批判がないではないが、彼は大きな絵のパズル合わせをしていた。
アッシリア-バビルロニア-ペルシャ-スキタイ-ガンダーラ-雲南-四川-邪馬台国に至る人々に双魚は万
物を保護する守護神だった。金海銀河寺にある双魚紋、パキスタン・ガンダーラ地方を運行する自動
車に描かれた双魚紋、倭国女王の服を飾った双魚紋、茶馬古道で会った双魚紋…。シルクロードにな
らえば双魚ロードと言おうか。許黄玉が伽耶に持って来た双魚信仰は彼女以前から、そして今でも食
堂の入口の内側にぶら下げられた北魚(プゴ=干し明太)二匹に連綿と伝統が息づいている。
イ・サンホン記者
ソース:釜山日報(韓国語)[著者が言う]許黄玉ルート/キム・ビョンモ漢陽大名誉教授
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