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[週刊東亜]ハンニバルとナポレオンの共通点はアルプス山脈を越えてイタリアに進撃し、世界戦争史
の英雄になったと言うことだ。ところで20世紀初め敦煌文書を掘り出したイギリスの考古学者スタイ
ンは高仙芝・?~755年)がハンニバルやナポレオンよりすぐれていたと言う。高仙芝はハンニバルと
ナポレオンがアルプスを横断(海抜2500m)したよりもっと険峻なパミール高原を通過(海抜4600余m)し
たからだ。高仙芝は747年、騎兵1万人を率いて4ヶ月間の大長征のあげく世界の屋根と称えられるパミ
ール高原を横断した。そしてヒンズークシ山脈を越えてパキスタン北部に立ち入った。(中略)
中央アジア史学の権威者である米国インディアナ大学のクリストファー教授も東西交流史で一番重要
な人物に高仙芝をあげる。第地術が西側に伝来された計器が歴史上最初と同時に最後の「アラブ対中
国」戦争であるタラス(カザフスタン)河畔の戦い(751年)からだ。しかし不幸にも高仙芝はタラス戦闘
で敗れてしまった。高仙芝が動員した北方種族がアラブと内通して彼を裏切ったからだ。以後、中央
アジアの覇権は唐からイスラム文明であるサラセン帝国の手に落ち、中央アジアはムスリム化した。
タラス戦の時、西側に製紙技術が伝わる
(中略=紙がイスラムからヨーロッパ・アメリカに広がる課程の説明)
1456年最初の印刷物である聖書が出版された。これは聖書の民間普及を意味し、西洋文明の核心であ
るキリスト教の早い伝播の助けになった。その影響はルネサンスと宗教改革、産業革命につながった。
結果的に高仙芝のタラス戦は人類文明の発展にこの上なく大きな貢献をした歴史的事件だったわけだ。
羅針盤もタラス戦以後伝わった文物の一つだ。イスラム人たちはメッカの方向を調べて礼拝し航海に
羅針盤を使った。ヨーロッパに伝わった羅針盤のおかげでコロンブスはアメリカ大陸を発見、マゼラ
ンは希望峰を見られた。このため、チ・ペソン延世大歴史文化学科教授は「高仙芝評伝」で製紙技術
伝播の触媒の役割をした高仙芝を「ヨーロッパ文明の父」と呼ばなければならない、と主張する。
ルネ・クルーチェなど中央アジア関連分野の権威ある西洋学者たちも高仙芝を東西交流史の画期的な
人物と見るのは同じだ。それなら高句麗人である高仙芝はどうして今日まで中国人に、世界に名前を
はせたのだろう。北宋の学者と同時に政治家である司馬光は「資治通鑑」で「高句麗の亡びた後、唐
は20万名の捕虜を強制移送して平壌には老弱者だけ残しておいた」と伝える。高句麗人たちは国が亡
びても最後まで唐に対抗し、これを阻むために唐は高句麗流民たちを辺方に強制移住させたのだ。
「高句麗流民の後裔」高仙芝が歴史に初めて登場した所は中国西部甘肅省だ。(中略=高仙芝経歴説
明)唐では高仙芝は滅亡した祖国から強制的に連れてこられた捕虜の子孫にすぎなかった。「旧唐
書」「資治通鑑」など中国四書の記録によれば、高仙芝の先任節度使が高仙芝の専攻を嫉んだあげく
「犬のくそみたいな高句麗奴」と悪口をいい、高仙芝が節度使になった後も唐の宮人たちが彼を扱き
下ろすのが常だったと言う。当時の唐人たちは高仙芝を中国人として認めなかったのだ。
しかし唐によって高句麗が滅亡したことは事実で、高仙芝将軍によって世界文明交流史が一段階進ん
だ点も否認することができない。(中略)
それなら西洋に製紙技術を伝えて人類文明を大きく発展させた高仙芝の業績は今日の観点で果して中
国史か、韓国史か、第3の東アジア史か。ここでも民族主義と脱民族主義、または第3の歴史で論争が
起こる可能性が潜在している。
ノ・マンス、ソウルデジタル大文昌科教授
ソース:週刊東亜(韓国語)高仙芝はヨーロッパ文明のお父さん
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