08/03/18 03:39:02
中国チベット自治区で発生した暴動が、周辺地域に拡大している。
世界各地でチベット人たちの抗議デモが繰り広げられ、8月の北京五輪開催を前に、
中国の国際イメージは大きく傷ついた。
18日に閉幕する全国人民代表大会(全人代=国会)は、民族融和など「調和社会」の
建設が主要テーマだっただけに、開会中に暴動が起きたのは皮肉である。
今回の暴動は、中国の対チベット政策の破たんがもたらしたものと言えるのではないか。
ラサでの暴動で、中国当局は死者が13人、警察官61人が負傷したと発表した。
亡命政権側は80人が死亡し、72人が負傷したとし、双方の主張は食い違っている。
亡命政権側は中立的な国際調査団の派遣を呼びかけたが、中国は拒否した。
実情を国際社会に知られたくないからだろう。
1959年3月のチベット動乱で、ダライ・ラマ14世がインド・ダラムサラに亡命して以来、
チベット住民と治安当局との衝突が幾度となく続いてきた。
天安門事件直前の89年のラサ暴動では、全人代で再選された胡錦濤国家主席が、
地元トップのチベット自治区党委書記として武力鎮圧を現場指揮した経緯がある。
90年代半ば以降、中国の対チベット政策は、2年前に開通した青海省西寧とラサを結ぶ
「青蔵鉄道」建設に象徴される経済・社会開発重視の姿勢が目立っていた。
商業開発などで漢族の移住を奨励し、中国語がチベット語より羽振りをきかせ、教育、
文化面での中国同化策が進んだ。
亡命政権側は、チベット自治区(人口約280万)を中心としたチベット族の居住地域一帯で、
漢族の移住者が増え、チベット族を上回った、と指摘している。
一方、当局は反政府活動に立ち上がった僧侶や住民を厳しく取り締まり、党関係者や
軍人を寺院内に立ち入らせ、愛国主義教育を強要するなどのチベット文化弾圧政策を
繰り返してきた。
チベットとともに中国のアキレス腱(けん)である新疆ウイグル自治区でも、漢族の移住策が
奨励され、ウイグル族の根強い抵抗運動が続いている。
ダライ・ラマは90年代にチベット独立の要求を取り下げ、「高度な自治」を求める立場へと
譲歩した。中国と亡命政権との間では、水面下の話し合いが断続的に続けられている。
暴動を契機として、中国は、歩み寄る努力をするべきだろう。
読売新聞
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