08/02/29 02:41:08
記者の目:在日コリアンが暮らすウトロ地区=新宮達
上水道の普及率は4割で、2割の世帯が生活保護を受けている。密集した60戸ほどの家々の半分以上は、
築25年以上。低地のうえに下水施設も未整備で、雨脚が少し強まると浸水する家が続出する……。
そんな劣悪な環境の中で、約200人の在日コリアンたちが土地の所有権もないままに、
70年近く暮らしてきたことをご存じだろうか。
京都府宇治市にある「ウトロ地区」。阪神甲子園球場の半分に当たる2万1000平方メートルの土地を巡って、
昨年末、韓国政府が「住民の土地買い取り資金の一部」として30億ウォン(約3億6000万円)の拠出を決めた。
軍用飛行場建設に伴い生まれた町の歴史から、日本側にも官民を挙げた支援を求める声がある。だが、
「戦後処理」の視点に固執していては、反発も出てしまい話が進まない。戦後63年、
在日1世に残された時間は少ない。とにもかくにも、「人道的見地」から日本サイドが積極的に動く番ではないだろうか。
ウトロは、1940年に始まった国策事業の「京都飛行場」建設に従事する朝鮮人たちの宿舎の町として誕生した。
終戦で建設は頓挫したが、居着いた人々を中心に町が形成された。
地権者が転々として入り組んだ土地所有権の問題が顕在化したのは89年、不動産会社が住民の
立ち退きを求めて京都地裁に提訴してからだ。住民側が買い取る方向で和解も模索されたが金額で折り合わず、
00年に最高裁で住民側の全面敗訴が確定。その結果、生活環境は改善されぬまま放置された。
裁判に負けてからは、住民は強制立ち退きを危惧(きぐ)して住宅改修に二の足を踏んだ。
将来に絶望した若者は日本国籍を取得したり、ウトロを去り、「見捨てられた町」と呼ばれた。
私がウトロの取材を始めたのは4年前だ。将来の展望を尋ねても明確な答えはなく、
深刻な表情で「ここに住み続けられるように何とか助けてください」と口をそろえるだけだった。
毎日新聞 2008年2月29日 0時09分
URLリンク(mainichi.jp)
>>2以降に続く