【書籍】 韓国資本主義の成長、日帝の支援おかげだった?~「日本帝国の申し子」と「大軍の斥候」[02/22]at NEWS4PLUS
【書籍】 韓国資本主義の成長、日帝の支援おかげだった?~「日本帝国の申し子」と「大軍の斥候」[02/22] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
08/02/24 23:15:19
キム・ナクニョン東国大経済学科教授

URLリンク(books.chosun.com)
▲日帝時代京城紡織株式会社の外見(右側)と1930年代京紡取締役会。

「漢江の奇跡」を生んだ韓国資本主義の特質はいつそしてどのように形成されたのだろうか?

エコノミストたちは高度成長が起きた1960~70年代の経済システムや成長戦略に焦点を合わせて答を
探そうとする場合が多い。これに反して歴史学者たちは長期的要因により大きな関心を傾ける。

「帝国の後裔」と「大軍の斥候」は時期をさらにさかのぼって開港以後、特に日帝期に起きた変化に
注目する。当時の最大朝鮮人企業、「京城紡織」(以下京紡)とその経営者であるキム・ソンス、キ
ム・ヨンス一家を研究素材にした点も共通する。

「帝国の後裔(邦題:日本帝国の申し子)」はハーバード大エッカート教授が1991年に出版した
'Offspring of Empire'を翻訳したもの。この本の素材になった全北高敞の金氏一家は開港期に大地主
に成長し、1919年、中小織布会社である京紡を立てて産業資本家に転身した後、日本の紡績会社に匹
敵する規模に成長した。ひいては教育とメディアを含む事業を多角化して、戦時には満州に進出する
など財閥と呼ばれるほどの成功をした。

著者は大学院時代の1969年に平和奉仕団の一員としてソウルを訪れ1977年まで働きながら勉強した。
この期間は朴正煕式「近代化」が絶頂に達した時代だった。著者はその時、直接目にした現象がどん
な歴史的脈絡から来たものなのかを追跡する事に魅かれてこの研究に足を踏み入れるようになったと
言う。彼は公開された資料は勿論、従来他の研究者たちが近付けなかった京紡の会計帳簿と企業家個
人の書信のような内部資料を掘り出してこの会社の成長過程を再構成しようとした。そして個別企業
の敍述に止まらず、これを一般化して韓国資本主義に特有の'成長の類型'が何だったのか、を明らか
にしようとした点に特徴がある。

彼は先に京紡の資金調逹と政府補助金の獲得過程をよく調べて、これを通じて企業と国家との関係を
論ずる。当時植民地政府は金融機構を掌握し、企業に資金を政策的に配分したし、産業政策を通じて
企業経営に深く介入していたことを強調している。しかし、これは戦時統制が本格化する日中戦争以
後には妥当だが、それ以前には事実ではない。それにもかかわらず著者がこの点を強調することは、
朴正煕式の'開発国家'が王権が微弱だった朝鮮時代ではなく、開発指向性を持った力強い総督府体制
から始まった、という英語圏韓国学研究の認識を共有するからと見える。
(中略)
こんな日帝時期の成長類型は植民地遺産として残り、朴正煕の時にほとんどそのまま再現された、と
いう感じをぬぐえないと言う。すなわち、韓国資本主義(またその成長類型)と資本家階級の起源は植
民地期に求めることができる、というのがこの本の結論だ。

このような認識は既存の歴史認識と衝突する。例えば韓国史学界の内在的発展に資本主義の萌芽を捜
そうとする試みを著者は「オレンジの木にリンゴを探す」ように虚しい仕事だ、と批判する。また京
城紡織を含む朝鮮人資本が帝国主義体制の外部で、これと対立するとか抑圧を受けたことで見る民族
資本論も神話に過ぎないと考える。日帝は自分の目的のために、意図的に朝鮮人資本家の成長を促進
したし、韓国資本主義は日帝の後見と支援のおかげで初めて芽吹いたと見る。'帝国の後裔'はそのよ
うな主旨で書かれている。

このような主張は多くの誤解と反発を買った。植民地支配を正当化する、という批判が出たのは勿論
だが、はなはだしくは著者の研究動機と人格まで攻撃した。そんな批判をよく見れば様々な仮想の主
張(例えば日帝の支配がなかったら、韓国は自分の力で資本主義を発展させたはずだという)や理想的
な基準に基づいて、不当な濡れ衣を着せることに終わった場合が多い。
(>>2-5のあたりに続く)

ソース:(韓国語)韓国資本主義成長、日帝の支援のおかげさまだって?
URLリンク(books.chosun.com)



レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch