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【韓国】高宗「返信がなぜないのか」政務顧問が伝える1905年当時の韓国[02/23] - 暇つぶし2ch1:健康診断再検査φ ★
08/02/23 18:30:54
日本が外交通信網掌握

「高宗は通信の自由を剥奪された君主だった」--。

大韓帝国皇帝である高宗の側近だったフランス人政務顧問アルフォンス・トレミューレ氏が1906年
5月19日、ドイツ外務省次官への書信に書かれた高宗の姿だ。

1905年11月、日本が大韓帝国の外交権を剥奪するために高宗と政府の大臣を脅やかし、強制的に
乙巳条約(ウルサ、第二次日韓協約)を締結する。以後、高宗は日本に外交権を奪われた乙巳条約の
不当性を知らせ、支援を要請するために死に物狂いで外交的努力を傾ける。しかし日本が任命した親日
米国人外部(外務省)顧問スチーブンスの許諾なしには外部との通信はほとんど不可能な状況だった。
高宗だけではなく韓国に駐在した外国の外交官も同じだった。

トレミューレ氏の書信には「ずいぶん前から日本政府は韓国通信院(郵便局)を掌握し、交信の秘密性
と不可侵性が深刻な問題になると、外国公使らは外交文書送達用船舶まで直接行って伝達したり受け
たったりしなければならなかった」と書いている。

ベルリンでさえ日帝の監視と統制を避けて文書の徹底的な保安を強調した。

彼は「皇帝陛下は、この極秘内容が書かれた書信を翻訳させるときは、生存そのものが脅やかされて
いる不幸で温和な大韓帝国皇帝に新たな紛争の火種になり得る日本大使館には依頼しないようにして
ください」と書いている。

高宗「返信がなぜないのか」

高宗は日本の監視と統制を避けて山東半島の煙台や青島など中間連絡地を経て海外公館に訓令を
送ることになる。トレミューレ氏は「自分の許諾なしに外部大臣の名前で外国駐在代表たちに訓令と交信
が送っていたという事実が分かった大韓帝国皇帝は、上海、煙台あるいは青島を経由して彼らに直接
訓令を送った」と記録した。

乙巳条約(ウルサ、第二次日韓協約)が締結された翌月の12月、高宗は米国に助けを要請し、ヨー
ロッパ3カ国公使たちに訓令を下した。この訓令で高宗は乙巳条約の不当性と大韓帝国の確固な意志
を該当の政府に強力に伝達せよという命を下す。

書信には「高宗皇帝は本人(トレミューレ氏)を通じて外国に駐在する大韓帝国の代表たちに“武力で
承認させようとしたこの条約案を、朕や朕の政府は承認したこともないし今後とも決して承認しない”と
いうことを各政府に伝え、強力に抗議せよという命を下した。この公文書は大韓帝国の代表を通じて
12月中、各政府に伝達されたものと思う」と書かれている。

しかし高宗は1次訓令に対して何の返信も受けることができなかった。もどかしく思った高宗は 1906
年1月、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に親書を書き、トレミューレ氏に直接ヨーロッパに行って伝えてもら
うことにする。文書には「1月に大韓帝国の代表たちから返信を受けることができずに交信がますます
難しくなると、皇帝は私にヨーロッパへ行って自分の公使たちに手伝ってもらうよう指示した。そして本国
と友好通商条約を結んだ列強への通報を、彼らに伝えるように指示した」となっている。

URLリンク(japanese.joins.com)
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1905年11月17日、乙巳条約締結後、大韓帝国と日本の政治指導者らが記念撮影をしている
URLリンク(japanese.joins.com)


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