08/02/24 17:00:59 nPBt+z15
認めるべきところは認める、というのが日本人の姿勢として必要じゃないのか?
何でもかんでも否定するのは、チョンと同じレベルになるぞ
古代朝鮮の製鉄技術は高度で、たたら族が日本に製鉄技法(と、その後の強靭な日本刀
としての発展)を持ち込んだのではないか。
2世紀後半に須佐之男命は、新羅からたたら集団を率いて森を求めてやって来た。奥出雲の斐伊川で砂鉄を集め、炭を焼き、鉄を製鉄した。朝鮮から輸入した鉄素材を巡って北九州の国々と争った。これが倭国大乱である。
239年頃邪馬台国が卑弥呼(天照大神)により統一されると弟の須佐之男命は、出雲の国を譲り、3種の神器を献上したことの意味は、高天原から追放されたとは言え、天照大神に臣下の礼を取らざるを得なかったことを示している。
弥生時代後期から始まった出雲のたたらの技術は6世紀頃から発達を初め、江戸時代に最盛期を迎え、松江藩では鉄作りの鉄師を9人に限定し統制と保護を行った。よって、日本の製鉄の八割を奥出雲で作っていた。明治になり釜石と八幡製鉄所が出来ると衰退の一路を辿った