08/02/21 09:28:41
■文化財を粗末に扱う根本背景は
崇礼門火災以後のマスコミ報道を見ると、数年前に文化財に関する記事を担当したときのことを思い出す。
当時も文化財は発掘記事中心だった。「史上最大」「史上最高」という修飾語さえ入っていれば、まずは文
化財記事としての要件は揃っているものとして扱われた。しかし、それだけだった。大々的に報道されても
ちょっと世間の注目を集めるだけで、その後は冷遇されるのが常だった。<中略>
とにかく文化財を担当した以上、勉強せねばならないので専門家を訪ね歩いた。慶尚南道の文化財を紹
介する「文化財探訪」というコーナーも作った。リストを元に毎週現場を訪れた。<中略>訪れた現場は暗
鬱たるものだった。<中略>屋外の文化財の事情は一層悪かった。山腹にある城跡には立て札が一つ
かろうじて立っているだけで、どこからどこまでが城跡なのかも分からず迷わなければならなかった。もっと
残念なのは内容が分かりにくいという点だった。一般市民たちがもっと親しく文化財に近付けるように内容
を知らせたかったが、大変だった。特に、びっしりと漢文が刻まれた碑文を見て、「内容を解説しておけば
いっそう文化財の価値が輝くはずなのに」と思ったことは一度や二度ではなかった。一部専門家の助けも
借りたが、納得ゆくまでにはならなかった。
あの時から今までにも、たまに文化財は関心を呼び、あちこちで毀損され、火災に遭った。崇礼門火災が
起こると、我が地域の記者たちも慶尚南道の文化財を訪ね回った。間接的に見ても、数年前の当時と今
とで文化財が粗末に扱われている状況に変わりはなかった。
哀痛と驚きは、余りにも多くの人が指摘したから重言復言する必要は無いだろう。ただ、過去も、そして
今も変らず抱いている疑問がある。無残な姿をさらす崇礼門に向かって「間違っていた」「思いやりが無か
った」と言って反省しているが、私たちはどうして、そのように文化財に対して思いやりが無かったのだろう
か。今でも開発現場では、瓦屋根一つでも守ろうとする文化財保護と、こんな瓦屋根の何が重要なのかと
言う地域住民との間の摩擦が少なくない。なぜだろう。我が民族が他民族よりも劣るからか?
そうではあるまい。答えにならないかもしれないが、私は我々の歴史的な背景影響が大きいと思う。長年
の日帝統治、解放、米軍による軍政、軍事独裁、そして民主化…。激動を経ても、民族を裏切った勢力が
歴史の断罪を受けていたら、そして歴史を正しく立てることが出来ていたら、私たちの文化財がそのように
冷遇されることは無かったはずだ。私たちの文化を中心に置いて、きちんと発展をしてゆくこともできたろう。
しかし権力を掌握した親日残滓と、これに連なる独裁権力にとっては、私たちの文化なんかは重要ではな
かった。生きてゆかねばならないという当時の現実的事情があったにせよ人々はこれを開発論理として十
分に活用し、文化は後回しにされてしまった。為政者の責任が大きいという意味だ。
文化が関心を呼ぶ時もあることはある。対外的に民族的自負心を強調する必要がある時とか、広報パン
フレットでも作る時には、我が国にもこんな固有の文化財があると言う。しかし保存と管理は誰の責任で
もなかった。問題が起これば対策樹立を約束するが、その時だけだ。見に来る人がいれば整備するが、
いなければ放置するわけだ。
他人が見るならするし、見なければしないのだ。表と裏が違うという深刻な状態になっているのだ。今回の
例でも、各種防災訓練は行なっていても、いざという時は果たして不手際だったではないか。人に見せる
時はしっかりやっても、人が見ていないときはやらないからだ。防災庁の過ちだけではない。根本を改め
直そうとする努力が不足しているためなのだ。
だから知りたいのだ。今の過熱世論が冷えた後も、文化財に対する関心が続いて制度的な補完がなされ、
国家的な予算が組まれてシステムが用意されるのだろうか。楽観は難しい。今の政治状況では特にだ。
国宝火災を前に国民からの募金から挙論する次期大統領の文化マインドと、値段は後から何とかしようと
いうブルドーザー精神、そして道徳不感症にかかった李明博政権の業務引継委員会の歩みを見ていれば、
楽観するほうがむしろ変だ。下からの意識改革運動が持続的に長年続たとしても可能かどうか覚束ない。
▽ソース:慶南道民日報(韓国語)
URLリンク(www.idomin.com)