【ゲーム】 花札は日本から韓国に渡って来た~私たちのゲーム文化がないのが残念だ[02/05]at NEWS4PLUS
【ゲーム】 花札は日本から韓国に渡って来た~私たちのゲーム文化がないのが残念だ[02/05] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
08/02/08 00:27:30

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節日になれば私たちは誰ともなしに集まって花札を楽しむ。伝統遊びもあるが、それよりはやはり、
花札が圧倒的だ。韓国民の代表的な娯楽に落ち着いた花札は、実は日本から渡って来た日本のカード
遊びだった、ということを知る人はあまり多くないと思う。

花札はどのように流れて来たのだろうか?花札は言葉通り、花で争うゲームだ。言葉ではロマンチッ
クなこの国民的カードゲームは、残念ながら日本の伝統カードゲームだ。ハナフダ(花札)と呼ばれる
このゲームは、一名「ハナカルタ」とも呼ばれた。現在は八八札(ハチハチフダ)と呼ばれて、日本
でも楽しむ人口がかなり多数になるが、韓国花札の人気には及ばないカードゲームだ。

それでは日本に初めてカードゲームの文化が入って来たのはいつだろう。日本の安土桃山時代、すな
わち1568年から1603年、豊臣秀吉が列島を掌握する時代だ。その時、ヨーロッパの宣教師がキリスト
教とカステラを持って入って来る時、ポルトガルのカードゲームが列島に一緒に入って来た。今の花
札の48枚は、当時ポルトカルのカードゲームが48枚だったことに来由する。日本でカルタ(哥留多)と
呼ばれた理由もポルトガルでカードが、カルタ(Carta)と発音したのが理由で、一番似ている漢字をあ
てたもの。

このゲームは日本列島の中でも地域によって少しずつカードの様が変わったり、ゲームのやり方まで
も千差万別だった。 光札、タネ札、短冊札、カス札から構成された4種類は、当時の江戸時代の日本
人の身分を現わし、各12枚のカードは一年12月を意味する。日本全国で一番一般化されたゲームは、
やはり上に説明した八八札だった。このカードの特徴の一つは、柳の皮(?)のカードが鬼神の手の
模様をしているという点だ。このカード一枚だけで八八札ということが容易に分かる。

韓国にはこのように流れて来た。
それではいつ韓国に渡って来たのだろうか。李氏朝鮮末期、すなわち1800年後半の事で、カードの素
材や姿が少しずつ変化して今に至っている。プラスチック素材に変わったのは最近の事であり、当時
は紙に粗雑に印刷したカードで遊ぶことを楽しんだと伝わる。なかでも絵柄の変化が目立つのは、光
札の場合、傘を差している人物が日本の士(ソンビ)から韓国の士に変わったため、使っている冠や,
衣装が違う。また赤丹に登場する鳥は、大部分が鴬と思っているが実はメジロだった。

当時、花札ゲームの一種だった'数闘'を楽しんだ朝鮮通信使によって、花札が初めて韓国に流れて来
たし、19世紀前後これを楽しんだスシマ島(対馬?)の日本商人たちが韓国を往来して、伝わったと
いう説もある。そのゲームは今も韓国節日に欠かすことができない全国民のカードゲームとして愛さ
れている。いや、いつも三人が集まれば、どこでも簡便に楽しむことができる大人の娯楽ではない賭
博になってしまった。
(中略>>1-5のあたり)
これからは時代が変わってオンライン花札で遊ぶ世の中であり、テレビゲームはもう日本のプレイス
テーション(PS)3と任天堂DSやWiiが全世界ゲーム市場のかなり多数を分けあっている。毎年、私たち
のお正月には、奥座敷の大人たちは花札を、向こうの部屋で子供達は日本の電子ゲームに夢中になっ
ている。花札も良くてポーカーも良いが、私たちのゲーム文化がないのが残念だ。

ソース:(韓国語)花札は日本から渡って来た。
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関連スレ:【韓国】 独島花札 [09/15]
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