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【正論】国学院大学教授・大原康男 個人信条からの独立の難しさ
もう30年も昔の話だが、昭和52年7月13日、最高裁は「津地鎮祭訴訟」の判決を言い渡した。
周知のように、本訴訟は三重県津市が総合体育館を建設するにあたって、神式の地鎮祭を挙行
したことが憲法の政教分離規定に違反するとして提訴されたもの。地裁は合憲、高裁は一転して
違憲と分かれたが、最高裁大法廷は再逆転となる合憲の判断を示して確定し、ここで初めて提示
された「目的効果基準」の論理は、政教分離原則を柔軟に解釈・運用する法理として司法界に
定着している。
≪キリスト教徒という立場≫
この最高裁判決は10対5の多数判決であったが、違憲とした少数派の一人が裁判長の
藤林益三長官である。5人合同の反対意見に加えて単独で追加反対意見を書いた藤林長官は
無教会派のキリスト教徒、意見書の中では「神社神道の神観は原始的であり、超自然的、
奇蹟的要素がほとんどなかった」とか、「神社神道も仏教も、その教義は多神教もしくは汎神教
であって、キリスト教のような人格的一神教ではなく、個人の人格の観念を刺激し、基本的人権
の観念を発達せしめず、したがって、信教自由の原則の重要性を認識させることも少なかった」
とか、キリスト教の優位性をあらわに披瀝(ひれき)している。
何せ同長官は就任直後の記者会見で「私はキリスト教徒。アガペーの精神でものごとを考え
たい。アガぺーはギリシャ語で“愛”という意味だ」と述べているのだから、何の痛痒(つうよう)も
感じなかったのだろう。不思議なことに当時のマスメディアはこれをごく好意的に受け止めたが、
もしも長官が神道人あるいは仏教者であって、同様な趣旨の抱負を語っていたならばどうで
あったか。
似たようなことは繰り返される。戦没者を記念する忠魂碑を公費で移転したことは違憲であると
訴えた「箕面市忠魂碑移転訴訟」で昭和57年3月24日に下された大阪地裁判決は「我が国の
国民性は、宗教に対しては極めて無節操であり、神と人との区別がつかない特異な民族である」
ので、政教分離は「厳格に」と説教しているからだ。これは日曜日の教会礼拝を欠かさないという
熱心なクリスチャンである古崎慶長裁判長の考えが色濃く出ていると思われるが、さすがに
この時には厳しい批判が浴びせられた。
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