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パールハーバー報告1946年7月
2.1941年11月7日までに、ルーズベルト大統領と彼の政府は、戦争の緊張は
「われわれが日本を向こうで(極東で)叩けば、国民の支持が得られる」と確信できるところまで
高まっているとの見方で一致している。
そこで彼らは「いかなる戦術をとるか」検討した(議事録70巻14415ページ)。
日本が合衆国の外交方針に従わない場合の選択肢として、大統領と政府には次の三つの戦術である。
日本の攻撃を仕掛けてくるまで待つ。議会の宣戦布告抜きで日本を攻撃する。和平か戦争かを議会に諮る
(議事録70巻14415ページ以下)。
3.11月25日、戦争の危険が差し迫ってことから、大統領はハル長官、ノックス長官、
スチムソン長官、マーシャル陸軍大将、スターク海軍大将との会議で、
「恐らく(早ければ)翌月曜日(12月1日)には攻撃を受ける可能性がある」ことを議題とした。
同会議のメンバーは「われわれがそれほど危険を冒すことなく、彼ら(日本)に第一撃をかけさせるには、
どうすべきか」を協議した(議事録70巻14418ページ)。
4.大統領、国務長官、陸軍長官、海軍長官は、議会に和平か戦争かを諮るとする提案には同意せず、
11月25日から12月7日までの間に、日本の「第一撃」を待つ戦術を選択していた。
ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』
ハル・ノートは大東亜戦争開戦直前の日米交渉において1941年11月26日になされた
アメリカ側から日本側に提示された、最後通牒のことであり、交渉のアメリカ側の当事者であった
コーデル・ハル国務長官の名前から名づけられたものである。