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浦項(ポハン)一帯は昔から気が強い土地だ。そのためか浦項一帯で生まれた人々の中に、日本の天
皇(日王)になった人々が多かった。
ところで今回、浦項出身である李明博前ソウル市長が大統領に当選した。李明博大統領当選者の故郷
は慶北浦項市北区興海(フンヘ)邑徳性(トクソン)里だ。これを契機に浦項で生まれた王たちの話
を紹介してみる。
日王延烏郎(ヨノラン)も浦項出身
AD157年浦項迎日湾出身のオ氏が船に乗って日本の島根県に渡って初めて日王になったが、その名前が
「ヨノラン」だ。浦項から海流に乗って島根県に到着したヨノランの子孫が約七代に渡って王を受け
継ぎながら暮した。(三国遺事、日本書紀)
一方、九州の福岡の方に海流で渡った金首路(キムスロ)王の子孫たちが百済の全幅的な支援を得て、
革命に成功はしたが、当時勢力の強かった高句麗の機嫌を伺って、能登半島地域に影響力を持ってい
た高句麗と彼らの支援をもらっていたヨノランの子孫を新しい天王として擁立した。すなわち第15代
応神天王(53歳で即位)である。
日本書紀の記録には「神様が応神にお前の名前と私の名前を代えよう!代えれば食べ物を充分に与え
ると言って海辺に出て見たら大きな魚が頭が裂けて死んでいた。それで神様の意に応じたとして応神
という名前を付けたのだ。(百済系の圧力でオさんが金さんと姓を交換)
現在日本の天王系図は皇室を奉じている極右勢力たちが加工して作った歪曲されたものだが、それで
も無理やりに辻褄を合わせて見れば、第14代天王である仲哀は政略結婚した年取った二番目の奥さん
である神功皇后の野望で、新羅を打ちなさいと言われた。その言葉を聞かずに毒殺された新羅系の最
後の可哀相な朴氏天王なわけだ。
浦項は気の強い地、また確認
歴史的に見る時、これまで浦項出身の日王が多かったが、今回、浦項出身の李明博大統領が当選して
浦項が気の強い土地であることが再び確認されたわけだ。
筆者/韓民族文化研究院理事長、カン・ドンミン(姜東敏?)理事長
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ソース:ブレーキニュース(韓国語)「浦項、日天皇たちたくさん生まれた気の強い地である」
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