07/12/21 17:32:46
【コラム】名料理人は一日にしてならず(上)
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かつて日本では「東の清香園、西の食道園」が韓国料理の名店として並び称されていた。
在日韓国人1世の張貞子(チャン・チョンジャ)さんが東京に清香園をオープンしたのが1952年、
林光植(イム・グァンシク)さんが大阪に食道園をオープンしたのが48年だから、
日本における韓国料理の歴史もすでに60年近くになる。この間、食道園には美空ひばりや
力道山といった朝鮮に出自を持つ不世出の大スターらが常連として訪れ、
清香園にも李承晩(イ・スンマン)元大統領や張勉(チャン・ミョン)元副大統領、
全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領といった大物が足を運んだ。
張貞子さんと林光植さんはいずれも創業者であると同時に、料理人でもあった。
2年前、85歳になった張貞子さんは、半世紀にわたって蓄積してきた韓国料理の
ノウハウを著書『時の香り』で公開し、話題となった。その後日本には数え切れないほどの韓国料理店が登場した。
焼肉が全国に広まり、韓国料理店が進化した焼肉店が、刺身料理よりも普遍化し、
日本のサラリーマンに最も人気のある料理として定着した。数カ月前、
日本で『The 焼肉ムービー プルコギ 』なる映画が公開されたのも、
韓国料理に対する関心の高さを示している。焼肉名人の境地に達した
在日韓国人の兄弟が「最高のプルコギ」をめぐって競い合うというストーリーだが、
残念なことに作品の完成度が低く、興行的には失敗した。
日本でのこうした知名度の向上とは裏腹に、今韓国料理店に好ましくない変化が起きている。
有名な料理店が増える一方で、まともな料理人がいる店が減っているのだ。
その原因として次の二つが挙げられる。まずは韓国料理ブームに便乗し、
料理も知らないいわゆる「ニュー・カマー」たちが厨房(ちゅうぼう)を担当する
料理店が雨後の竹の子のように登場したことだ。もう一つは、一財産築いた
1世たちが自分の子どもたちを厨房に立たせなかったため、技術が伝承されなかったことだ。
いずれも店の経営と、肝心な料理とが分離してしまう結果を招いた。そのため、
韓国料理店から名人級の料理長が輩出されなくなってしまった。
朝鮮日報/朝鮮日報JNS 東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
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