【書籍】 古田博司著『新しい神の国』~特定アジアの反日は宿命→距離置く「別亜論」主張[12/15]at NEWS4PLUS
【書籍】 古田博司著『新しい神の国』~特定アジアの反日は宿命→距離置く「別亜論」主張[12/15] - 暇つぶし2ch397:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
08/01/17 17:51:12 Y1bJ++cV
まだ途中までしか読んでいないが
85頁「当時(1974年)は未来の世の中が社会主義国ばかりになると頑固に信じていた」
を読む限り、古田氏は転向組の一人。
また頁82から、旗田氏を例に朝鮮研究者の無能ぶりを紹介しているが
貢84「もしこの時点(1960年代か)で、北朝鮮の出版物を日々読み、現状を解読するものが一人でもいたならば、北の社会主義経済体制の欺瞞はたちまち判明したはずのものである」
つまり当時の学者は北朝鮮の出版物を読んでいなかった、だから現状がわからなかった、ということだろう。
そうであれば21歳になる1974年から『労働新聞』の購読を始めたという著者には、すぐに北の欺瞞がわかったはずだろう。
ところがどうやら、彼が事実に気づいたのはもっと後のことである。
貢86‐87「二〇〇二年九月十七日がやってきた。私にとってこの日は、日本の敗戦になぞらえるべき青天の霹靂であった。」
金総書記が拉致の事実を認めたこの日、我々にとっては間違いなく勝利の鬨の声を上げるべき日であった。
だから拉致の事実を事前に知っていれば、「日本の敗戦になぞらえるべき」青天の霹靂……ではないはずである。
この日まで彼は敗者の側、すなわち「<拉致>」など創り話です。そんなことは
荒唐無稽な妄想です」と放言する側だったのではないか。
なんと、古田氏は30年近く朝鮮の書を読みながら事実に気づかないでいたのである。
そんな彼がなぜ他の朝鮮研究者、ひいては進歩的文化人を嗤うことが出来るのか、理解に苦しむ。
仮にその2002年に、今後の世論が対北鮮強硬論に移行するのを感じ取り、それに迎合する形で保守論壇にもぐりこんだのならば、これを朝鮮人的事大主義といわずになんといおう。
ミイラ取りがミイラになったのか、いやもともとミイラだったのか。

なんて、こんな風に茶化してもきっと古田氏は赦してくれるのでしょう!!!




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