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日本軍、南京で膚殺・略奪―下関の道路には五尺の死体の山―
(『世界日報』一九三七年十二月十八日) 十五日、シカゴ・デイリー・ニューズ中国特派員スティール、南京電(遅着)
南京が日本軍に包囲され陥落する前後四日間、もしこの四日間の情景を表現しようとすれば、「地獄の四日間であった」
という言葉以外にはない。
私と外国人数名は、アメリカ砲艦オアフ号に乗って南京を離れた。これは南京陥落後、離京する最初の外国人である。
私たちは南京城を出るときに、長江沿いの城壁付近で中国人三〇〇人が日本軍に銃殺されるのを目撃した。
これらの三〇〇人が倒れる前に、すでに膝に達するほどの死体が城壁付近に積み重なっていた。
これらは、この数日来の南京でも、もっとも凄惨な情況といえた。
南京陥落のさいの残虐と混乱のさまは、筆舌に尽くしがたい。中国軍が南京を撤退するとき、城内の民衆の生命は、
少しも保障されなかった。ただし、日本軍の入城後の残虐は、それとは比較にならない。日本軍に虐殺された中国軍民は、
数えただけでも、数千になる。幸いに南京の外国人居留民はまだだれも殺害されていない。
日本軍はかつて、中国人民の同情を獲得するつもりだと述べた。この言葉は確かだとしても、
南京を占領したときの日本軍の蛮行は、この種の計画をぷちこわすのに十分であった。