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当時、毒ガス兵器は世界中が開発、製造、保有していました。
支那も同じで、ソ連やイギリスなどから供給されたものを含め、多数所有していました。
いずれにせよ、毒ガス兵器を含めた全ての日本軍兵器が60年前の終戦時に、所有権、管理権共に
完全に支那に接収されました。
重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の
概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、
【中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、
猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。「細菌・毒ガス戦/中国が最初の
違反者だった」】
信夫淳平博士「昭和史研究會報」中村粲/第39、40
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