08/06/26 02:10:02 N9e30h9N
>>15
犯行自体にシンパシーを感じている人は極少数だと思います。
社会的環境・境遇に対する不満や苦悩に対しては、多くの人が共感・同情または理解を示していますね。
この双方を同一視して批判している人をここではよく眼にしますが、この二者はまったく別の認識ですよね。
前者の犯行自体にシンパシーを感じている人は、単純に言ってしまえばあなたが言うように幼稚で知性が無い人た
ちだと思います。でも彼らは如何に幼稚であれ、苦しんでいるという事は忘れてはならないと思います。
ですから私はこの人たちを批判する気にはなりません。ただ危惧するのみです。
少しでも力になれればとは思いますがね。
後者は実際に加藤と似た状況に置かれている人や、過去にその経験がある人、そして客観的に分析した上で
理解(肯定という意味ではなく)している人でしょう(私はこれに属します)。
彼らの意見も様々ですね。
境遇に対しては共感しながらも、加藤の犯行は完全に否定し加藤個人を攻める者。政治や企業・職場、学校や親の教育、
サイトの管理や住人など外部を攻める者。
私はどれもこれももっともな事だと思いますよ。ただ、そのどれか一つだけが直接的な原因であるとは思いません。
それら全てが要因であると思います。
前スレで、加藤の罪を外部の責任に転嫁して、人類・地球・宇宙にまで原因を追究するのか?という批判がありましたが
これはもっともな事です。もっともなことなのですが、それは論点がずれていますよね。
原因を追究すべきは、人為的な社会の内部に対してにとどまるべきですし、原因を追究するという行為自体の目的は、
その原因に対し如何に改善・対処出来るかということであるはずです。
加藤の親が加藤を生んだ事は、批判されるべき事ではありませんよね。改善できないわけですから。
でも、もし加藤の親の教育が一つの要因であるならばそれを追求し、改善していこうとするのは、変容していく社会に対応
する為には必要な事だと思います。
これは、他の政治・企業・職場・学校に関してもいえることですね。