08/04/10 01:03:47 lg1CGFrE
>>549
> 日の丸・君が代に親近感を抱くのが日本人の個性とは言っていない。
では、「まあ、自らの個性に異を唱えるのも若さの特権であろう。
そうして日の丸・君が代をいつしか自分の内の取り込むんだよな。」は
どういう意味だ?
若いうちは君が代を嫌っても、老いれば違う心境になると言っているの
ではないのか。とすれば、嫌うのとは違う心境、つまり親近感ではないのか。
明瞭な説明を求む。
> 親近感にしろ憎悪にしろ、日本人のベースに日本の歴史・文化・国柄が厳然とあり、
> それが日本人一般の精神の核を形作っている。
なるほど、歴史・文化・国柄という事実は厳然として存在するだろう。
しかし、個人の精神は、それをさまざまに解釈する。
その解釈は少しも厳然としてはいないわけだ。
たとえば、憲法9条は厳然として存在する。それは日本の歴史であり、文化であり、
現在の国柄であるといえる。
しかし、それが日本人一般の精神の核を形作っているか? toooの精神の核を
形作っているか?
厳然として存在する事実と個人の精神活動を直結するところに、きみの議論の
危うさがある。個人の精神活動の自立性を認めない。自分の解釈が日本人
一般の解釈として疑わないところに、きみの愚かさがある。その愚かさこそが
全体主義ではないのか。