08/08/29 13:02:55
― 今の10代の子たちを中心に、若い人には「夢のようなスゴイものを、努力をしないで獲得できる」
という思い込みがあるとのことでしたが、どうしてそうなってきたのだと思いますか。
谷口: 理由は大ざっぱには存在しているんですよ。例えば少年漫画を読むと分かると思うんですけど、
時代が下るにつれて、主人公はどんどん努力をしなくなっていくんです。もしくは主人公は、努力は
漫画では見えないところで済ましたという話にしておいて、漫画のコマには出てこないように
なっているんです。
― 「努力」に対する価値が減ったということですか。
読者が、「努力によって何かを勝ち取る」という“物語”に夢を見なくなったんじゃないですか。
「巨人の星」(1966)がブームになった頃は、まだ努力に夢があったはずなんですよ。星飛雄馬は、
大リーグボール養成ギプスをしてウサギ跳びをして苦労をすれば、長屋生活から脱却して、
東京タワーも見える高層マンションに住むことができると(笑)。物語の登場人物には、金持ちの
ボンボンも何人か配置されているけれども、たとえ貧乏な家に生まれても、努力をすることによって、
ボンボンと同じフィールドに行けて、勝つことができるという夢があったんですね。それがある種、
ジャパニーズドリームだったはずなんですよ。
― 60年代、70年代は日本の経済成長の後押しもあったから、努力した分、報われたんですね。
ところが80年代くらいから、日本人の収入がある程度平たく均一化されてきたところで、野球漫画の
有り様も変わったんです。例えば『タッチ』には、社会的に過剰な上昇志向は存在しないですよね。
登場人物たちの貧富の格差というのは、狭い幅の中に抑えられていて。主人公の夢が、「今を
どう楽しんでいけるか」というところに移っていったと思うんですよ。それがたぶん『タッチ』や
『うる星やつら』といった作品が持っていたものだと思うんですよね。
ただ、そのときにもまだ別の夢が存在していた。いい大学を出ていい会社に入れば、もしくは
一芸に秀でていれば、それなりの安定した人生コースになるという夢ですね。
■ 「甲子園に出ても、人生は楽にならない」
― 90年代初めの頃には「一芸入試」が登場しましたね。
ええ。たとえいい学校に入れなくとも、一芸に秀でていれば、それを手がかりにして上昇していけると。
ところが、「コードギアス」制作のためにリサーチした限りでは、今の子供たちは、一芸に秀でて
いることが、イコール上昇とは思えなくなってきているんですよ。
NBonline
URLリンク(business.nikkeibp.co.jp)
続き >>2-5
関連スレ
【アニメ】谷口悟朗監督が語る”俺はやればできる子” 職業選びが「楽してできるものが良い」という方向へ
スレリンク(moeplus板)