08/06/09 21:55:40 BE:649152386-2BP(1341)
マンガ家・雷句誠氏が6日に小学館を提訴してから3日が経過しました。その間、この問題は
ネット中を駆け回り、今さら何かを書こうにもすっかり出遅れた感じになってしまいました。
もちろん俺も何か書こうとは思っていたのですが、この件に関しては、現時点では雷句氏側の
見解(訴状と陳述書)しか公になっていないので、なんとも言えなかったというのが正直なところです。
(中略)
裁判に関して、特にこうしたプライベートでの感情のもつれを含んだ問題に関して、第三者の俺が
事実関係がよくわからない状態でコメントを書くことには問題があると思います。それでこの原稿
紛失問題に関しては、裁判の推移を見守るしかない、というのが俺の立場です。小学館の公式見解は、
放っておいてもじきに法廷で出るはずで、それを見てコメントがあれば、書くことにしたいと思います。
ただし現段階ではっきりとわかることがあります。それは、雷句誠氏の、版元サイドに対する不信感の
強さです。雷句氏の陳述書を読む限り、この問題はたんなる「原稿紛失」問題にとどまらないことは
明らかです。原稿紛失を理由に提訴に踏み切ったことは、「陳述書」を公開するためのきっかけに
過ぎなかったのではないかとすら俺には思えます。公開された陳情書には、過去、雷句氏を担当した
編集者への不満が実名で書かれており、雷句氏の積もり積もった恨みの深さが伺いしれます。
しかしながら、陳述書から伺えることは、何度も言いますがあくまでも雷句氏側の一方的見解であります。
名指しで非難された編集者にも、おそらく反論やいいたいことがあるはずですが、彼らはサラリーマンですから、
ことが法廷の場に及んだ場合、会社を前面に出して対応する以外はありません(マスコミやネットで反論や
個人的見解を述べることは、会社の弁護士が固く禁じているはずです)。逆にいえば雷句氏は、
「会社の中の個人」の実名を出して非難することで溜飲を下げたということもできます。フリーは、
一般に立場が弱いものですが、それは組織から仕事をもらって生活しているからです。いったん
その組織と「縁を切ってもいい」と決意さえすれば、もはや彼を止める人は誰もいません。こうなると、
「個人」としてのサラリーマンは黙るしかありません。名指しで非難された編集者氏の意見は、
たぶん公には今後も出ないか、出たとしても何年も経ってからになるでしょう。
そういうわけで、現時点でのこの問題に対して、俺は裁判そのものとは異なる切り口で書いてみたいと思います。
まず今回の問題でネットを見て回っていたところ、作家が版元や編集者に対して「告発」するサイトが
いくつか存在することに気がつきました(コメント掲示板で読者が教えてくれたものもあります)。
その中で特に気になったのが、『バクネヤング』等の個性的な作品で90年代に人気を博していた
松永豊和氏の自伝的小説『邪宗まんが道』と、人気少女マンガ家・新條まゆ氏のブログ「まゆたんブログ・
思うこと」です。新條さんのエントリは今回の雷句誠氏の出来事を受けて書かれたものです。
(中略)
しかし、作家と版元のトラブルは、それこそ原稿紛失も含めて今に始まったことではなく、社員編集者と
作家の感情的確執も、大昔からありました。
(中略)
小学館のようなマンガ界の中心に君臨する大手版元をマンガ家が訴えたというのは、俺の知る限り初めてであります。
もちろん小学館や講談社のような大手版元でも、作家と編集がケンカになったとか、原稿をなくしたといった
トラブルは、過去にはたくさんあったわけです。まったく表沙汰になっていないのですが、作品名を出せば
誰もが「え?」と驚く作品の原稿がまるまる一冊分印刷所で盗難にあい、解決するまで連載は一時中断、
作者サイドと版元が水面下で補償をめぐって熾烈な交渉の末、連載再開されたケースも知っています。
この件は裁判にならず、なぜか2ちゃんの噂にすらなりませんでした。この作品の場合、製版は済んで
いたので単行本は無事に出すことができたこともあります。
要するに、俺の知る範囲でも、雷句誠氏レベルの「作家と編集のトラブル」は昔から日常茶飯事であったと
思うわけです。それでもこれまで表沙汰にならなかったのはなぜか、それがここに来て作家の側からの
「告発」がはじまったのはどうしてか、ということを俺は考えたいと思うわけです。
(>>2以降に続く)
引用元:たけくまメモ
URLリンク(takekuma.cocolog-nifty.com)