【模型】「ガンプラ」日本人1人に3個の計算 国民的プラモデルの今昔at MOEPLUS
【模型】「ガンプラ」日本人1人に3個の計算 国民的プラモデルの今昔 - 暇つぶし2ch1:コロッケそばφ ★
08/04/02 23:15:50
―加藤氏は、バンダイ模型にてプラモデルのパッケージデザインを担当したほか、
ガンプラブームには欠かせない存在だったバンダイのPR誌「模型情報」、「B-CLUB」を
世に送り出した人物(現在はバンダイを離れている)。ガンプラ勃興期を知る人物が、
そのビジネスの今までとこれからを語る。

’80年7月、ファン待望のプラモデルが発売された。縦190ミリ×横130ミリ×深45ミリという
小さな箱を空けると、総パーツ数46個が配置された2枚の成形品が現れる。従来なら赤や黄の
カラフルな色が選ばれるはずだが、常識を破りやや青みがかった白一色という地味な成形色。
しかしそれは、開発者たちの「今までのキャラクターモデルとは違う」という静かだが
強い意志表示だった。組立てると全高約130ミリの白いロボット(モビルスーツ)が完成する。
そこには、その後のキャラクターマーチャンダイジングの勢力図を塗り替えてしまう程の、
高いポテンシャルが秘められていた。それが、「1/144ガンダム」(300円)。現在までの
シリーズ累計生産数は3億8900万個。「機動戦士ガンダムのプラモデル」
愛称「ガンプラ」の軌跡は、すべてここから始まった。

■ユーザーの熱い意見がメーカーを動かした

アニメ「機動戦士ガンダム」を見た年齢層の高いファンは、兵器として描かれている
「モビルスーツ」の商品化を求めた。しかし市場にはアニメの設定とは似ても似つかない、
おもちゃのガンダムしかない。そして、その夢を実現してくれるプラモデルメーカーとして、
バンダイホビーセンター(当時はバンダイ模型)に期待を寄せた。’79年夏、ファンから
「模型化希望」という異口同音の投書がバンダイに届き始め、その数は次第に多くなる。
人気を確信したバンダイは、プラモデルの商品化権取得に動く。同業他社の玩具メーカーの
提供番組だったために交渉が難航し、商品化権取得がなったのは同年末。時間がかかったことが、
結果的にファンの飢餓感を煽った。翌’80年2月、バンダイのPR誌「模型情報」が
「ガンダムの商品化権取得」の第一報を報じると、ユーザーから「感謝と期待」の声が届く。
さらに同誌面での「ガンダムはスケールモデル」「スケール統一」宣言によって、
ユーザーの期待は一気に高まる。彼らの期待感には確かな根拠があった。
それは「宇宙戦艦ヤマト」の実績である。

■開発者たちの意識を変えた「宇宙戦艦ヤマト」

「宇宙戦艦ヤマト」は’74年にバンダイから4種のプラモデルが発売されたが、番組とともに
さほど話題にならないまま販売終了。ところが、放映終了後2年以上経た’77年になって
人気に火がつく。ファンの中心は、放映終了後、作品の質の高さに気づいた大人たちだ。
そして、ユーザーから届く「僕たちが欲しいのは、第三艦橋(※)が再現されたヤマトだ。
ゼンマイ走行はいらない」という熱望。ユーザーの意見は、開発者たちの意識を劇的に転換させた。
架空のメカであっても、実在する物として精密なスケールモデルとして開発すべきであると。
スケールモデル採用以外の「ヤマト」のもう一つの功績、それが「メカコレクションシリーズ」だ。
主人公メカしか商品化されない常識を覆し、脇役や敵のメカを、子供たちのお小遣いでも買える
100円という低価格で次々と商品化した。

※第三艦橋とは、艦底中央部に突き出た艦橋。ヤマトが宇宙戦艦であることの象徴である。

>>2へ続く

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