08/07/09 14:38:27 0
98年の東千葉大会で優勝した時は、甲子園に行けるんだというより、優勝したんだという気持ちだけでした。
甲子園に2校行けるのでチャンスだとは思っていましたが、千葉は伝統校が多く強豪だらけ。
その中から選ばれるのは難しいと思った。詰まった日程で暑い中での戦い。
1試合でも負けたらそこで終わりです。大学やメジャー、日本のプロを経験しても、あれだけつらい大会はなかった。
その分、優勝できたことは大きな自信になっています。
練習は厳しかった。でも毎日午後7時には終わりだったので、短時間で集中する大切さを学びました。
監督や仲間との出会いは大きい。バッテリーを組んでいた大木陽介は1年の秋から自分の球を受けてくれた。
今でも何かあると連絡しあう仲です。同学年の15人の中で今も野球をやっているのは
自分一人になってしまったけれど、年1回は集まっています。
仲間と甲子園の話もするけれど、監督にあんなこと怒られたとか、練習中にけんかしていた部員がいたとか、
日々の思い出の方が多い。甲子園に行くまでに必死でやっていたころをよく思い出します。
「野球は投手が崩れたらすべて終わり。責任を持て」と言っていた笠原修監督は、
5月2日にプロ初勝利をあげた時にはすごく喜んでくれました。つながりは今でも本当にありがたいです。
昨冬、久々に母校を訪ねました。高校時代を思い出しながら、プロでしっかりやらなければと決意を新たにしました。
学校によっては、いい練習場所がなかったり、選手がぎりぎりだったりと厳しい環境のところも少なくない、
と思います。でもみんな必死で練習している。えらそうなことは言えないけれど、試合では自分のできる限りを
出し切ってほしい。一人ひとりにとって悔いの残らない大会になることを願っています。(聞き手・畑山敦子)
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80回大会1回戦 PL学園6―2 八千代松陰
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