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第二の人生プレーボール 元中日春田さん 球界去り、教師目指し大学へ
将来を期待されながら故障に泣き、わずか2年でプロ野球界を去った青年が県内に戻り、
第二の人生を歩み始めた。元中日ドラゴンズの春田剛(はるたつよし)さん(21)。
保健体育の教諭を目指し、龍ヶ崎市の流通経済大に通う。将来は高校野球の指導者も
視野に入れ、「頼まれたらコーチでも監督でもやってみたい」と、思いを巡らせながら
勉学に励んでいる。
2年で終わったプロ生活を「いろんな人と巡り合い、一気に大人になった。人生の財産に
なった」と振り返る。
甲子園出場はかなわなかったが、水戸短大付高時代、高校通算43本塁打を放ち、強打の
外野手として注目を浴びた。2005年高校生ドラフトで中日が3巡目で指名。
入団1年目の夏には二軍選手中心のオールスター戦のメンバーにも選ばれ、プロ野球選手
として順風満帆の滑り出しだった。
好調の陰で、中学時代からの持病だった椎間板(ついかんばん)ヘルニアの症状が悪化していた。
2年目、落合博満監督の目に留まり、内野の練習を始めると、腰を落とす練習が増え、
激痛が走るようになった。春のキャンプでは「若手注目株」と期待されたが、腰の痛みで
バットを振っても踏み込みが甘くなる。腰が抜けるような感覚にも襲われた。
手術も考えたが、プロの練習に耐えられるまで回復する望みは薄くなっていた。「どう乗り
切ろうか」。毎日、そればかり考え、不本意な2年目が終わった。
11月、悩みながらも契約更改を済ませた後、将来を真剣に考えた。「腰の痛みを抱えながら
中途半端に野球を続けたら、人生に後悔する」
現役を続けたくても戦力外の烙印(らくいん)を押され、球界を去る選手が多い中、契約更改直後
の引退は異例。「何で春田を辞めさせるんだ」。事情を知らないファンから引退を惜しむ声が
上がったのが、うれしかった。
続きは>>2-10あたりに
ニュースソース YOMIURI ONLINE 茨城
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)