08/06/02 17:50:45 eJRuN9dQ0
>>197
川淵氏の功績
人数合わせのために先に高校のサッカー部に入っていた。「四国に旅行で行けるなんてラッキー」という気持ちで即座に入部した。
1980年にサッカー日本代表チームの監督に就任。1982 FIFAワールドカップスペイン大会の予選に臨むものの、成績不振で僅か半年程度で現場から身を引く。
強化部長としてロサンゼルスオリンピック (1984年)への出場を目指すが、最終予選でタイ、マレーシア、イラク、カタールに4連敗して出場を逃す。
この時のショックで川淵は数年間、サッカーの仕事から身を引いていた。
川淵の退任後、サッカー日本代表チームは急速に力をつけて1986FIFAワールドカップメキシコ大会やソウルオリンピック出場まであと一歩と迫ったため、指導者としての各方面からの評価は低い。
チームや運営会社の呼称から企業名を外すことを決めたが実現していない。
「珍プレー」と呼ばれるような選手や審判のミス等を放送する番組に激怒。メディアとの関係を険悪にし、Jリーグ自体の露出低下に繋がった。
「会長」に代わる愛称を募集。その結果、応募総数50通の中から「キャプテン」が採用された。
『次期役員候補推薦委員会』を決める理事会で「疑惑とはなんだ、訂正しろ!謝れ!!」と、野村尊敬理事を恫喝。