08/05/02 21:32:08 0
かつてフランス23歳以下代表を率い、現在はJFLのFC琉球で指揮を執る
ジャン・ポール・ラビエ「監督」は不思議そうだった。
「いざピッチに立てば、主役はあくまでも選手。監督にできるのは助言でしか
ないのだが、日本の選手たちは、それを命令と受け取っているフシがあるんだ」
フシがある、ではなかった。FC琉球の選手たちは、彼の「助言」を間違いなく
「命令」として受け取っていた。わたし自身「上がろうとしたら怒られた」
「下がれと言われたので下がった」といった選手たちの言葉を、数多く耳にして
きたからである。
これを儒教精神に縛られた日本人の特性として片づけるのはたやすい。
だが、個人的にはどうもそれだけではない気もしている。
たとえば王監督が、星野監督が送りバントのサインを出したとする。これは
「助言」だろうか。否、限りなく「命令」に近い指令である。野球の世界では、
監督から下されたサインに真っ向からあらがうことなどありえない。これは、
日本に限らず、世界中の野球に共通して言えることだろう。
つまり、サッカーと野球では、「監督」の発する言葉の持つ意味に、大きな
違いがあり、役割もまったく違う。にもかかわらず、両者は同じ「監督」という
日本語で表現されてしまっている。野球の指揮を執るのも監督なら、サッカー
の指揮を執るのも監督。これでは、野球になれた日本人の感覚として、
サッカーの監督から発せられる言葉を、野球における監督の言葉として
受け取ってしまうのもやむを得ないことなのではないだろうか。
特に、若年層においては。
国際経験を積み、外国人監督になれたJリーガーであれば、言われた指示が
限りなく助言に近いものだということはよくわかっている。しかし、日本のサッカー
界全体を見渡すならば、彼らはあくまでも少数派にすぎず、多くのサッカー
少年たちは、助言を命令と勘違いして大人になっていく。
長い目で見れば、これは大きな問題である。
引用元:スポニチワールドサッカープラス
サッカーと野球の「監督」は別物 【金子達仁】2008年05月01日
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