08/04/11 09:11:15 1TtzHNUk0
長野 vs 松本の歴史
廃藩置県により北東信の藩は『長野県(県庁は長野市)』に
中南信の藩は『筑摩県』(県庁は現松本市』に
その後の再編成で、『長野県』と『筑摩県』が合併し現在の『長野県』となるが
新『長野県』の県庁を『長野市』に置くか『松本市』に置くかで対立
県の中心にある松本か上田が有力だったがタイミングよく筑摩県庁が放火され
その犯人が上田藩士だと根拠のない噂からなし崩し的に県庁は長野に決定
松本は県庁を奪われたという意識を持つようになる
近年では20億ともいわれる金を使って誘致した長野オリンピックも
ハコモノは全て長野市周辺で独占され中南信は蚊帳の外であったことも強く影響している。